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松平春嶽 坂本龍馬の検索結果1 - 5 件 / 5件

  • 勝海舟、西郷隆盛と歩んだちょい悪親父の[真実]

    犬に金玉を噛まれるも驚異の生命力で生還 勝海舟は、1823年、文政6年、江戸本所亀沢町で旗本勝小吉(かつこきち)の長男として生まれます。幼名は麟太郎(りんたろう)、勝家は徳川家康が天下を獲る前から仕えた譜代の旗本ですが、禄高は41石に過ぎず、役職にもつけない貧乏ぶりで父である小吉は、商人の用心棒や刀剣の目利きなど、下町の顔役として細々と生計を立てていました。 海舟は少年期から聡明で、小吉は非常な期待をかけていましたが、9歳の頃に道で野犬に金玉を噛まれ、生死の境を彷徨う経験をしました。この時、父の小吉は献身的に海舟を看病し、その甲斐もあり70日程では回復しています。海舟は幼少期の体験がトラウマになり犬は大小関係なく生涯嫌いでした。 一時期の海舟は剣術に打ち込み、島田虎之助(しまだとらのすけ)に師事して腕は直心影流(じきしんかげりゅう)の免許皆伝で同時に禅に傾倒して心胆を練り上げています。ただ

      勝海舟、西郷隆盛と歩んだちょい悪親父の[真実]
    • 坂本龍馬は武田鉄矢に怒られるほどの[人物]だったのか?

      天保6年土佐の富裕な郷士坂本家に生まれる 坂本龍馬は1836年の11月15日、土佐の郷士(ごうし)坂本八平(さかもとはちへい)の次男として生まれます。長男は権平、姉は千鶴(ちづる)、栄(えい)、乙女(おとめ)がいて龍馬は末っ子でした。元々、坂本家は商家で質屋、造り酒屋、呉服商を営み郷士株を買って侍身分になりました。竜馬というのは通商で諱(いみな)は直陰(なおかげ)、後に直柔(なおなり)と改めています。 漫画などでは、寝小便垂れのアホの子として描かれますが、寝小便については、当人が手紙で認めているものの、具体的なアホエピソードはないようです。ただ、実母が龍馬10歳の頃に病死しており、その精神的ショックで寝小便や、学問に身が入らないという事はあったかも知れません。主な教育は姉の乙女が引き受け龍馬を鍛えましたが、実は龍馬の視野を広めたのは漫画にはあまり出ない、父八平の後妻、伊与の前夫の実家、川島

        坂本龍馬は武田鉄矢に怒られるほどの[人物]だったのか?
      • 山内容堂と坂本龍馬、理想の上司と部下の[真実]

        幕末では坂本龍馬(さかもとりょうま)が一番人気のある歴史上の人物の一人で、これまでに何回か大河ドラマになっています。坂本龍馬は土佐藩の元藩士で、土佐藩の藩主は山内容堂(やまのうちようどう)です。山内容堂も雄藩として台頭した土佐藩の藩主で、山内容堂は伊達宗城(だてむねなり)・島津斉彬(しまづなりあきら)・松平春嶽(まつだいらしゅんがく)ら四賢候(しけんこう)として呼ばれるようになりました。 この記事では坂本龍馬と土佐藩の藩主である山内容堂との関係、龍馬の船中八策(せんちゅうはっさく)を受け入れた真相について取り上げます。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を

          山内容堂と坂本龍馬、理想の上司と部下の[真実]
        • 鞆の浦 ぐるり観光 - すまりんの てくてく ふたり旅

          すまきとすまりんがこのたび訪れた鞆の浦(とものうら)は 広島県福山市の港町です 鞆の浦は 瀬戸内海のほぼ真ん中にあり この辺りで東西の潮の流れが変わることから 瀬戸内海を横断する船はここで一旦 潮の流れが変わるのを待ちました ということで 鞆の浦は「潮待ち港」として知られ 江戸時代を偲ばせる建物がたくさんあります そういえば「崖の上のポニョ」の舞台になったとも言われていますね(^_-)-☆ 宮﨑駿監督が鞆の浦の古民家に滞在中「崖の上のポニョ」の案を練られたとのこと… 今回は小さな宝石箱のような鞆の浦の町を巡ってみたいと思います 観光の順番が前後しますが この順にご紹介します ❶東洋一の景色の寺 福禅寺の対潮楼 ❷「平成いろは丸」で仙酔島へ ❸活魚料理 鯛めし 千とせ ❹龍馬の隠れ家  桝屋清右衛門宅 ❺鞆の浦港と「汐ノ音」の映えスイーツ ❻いろは丸記念館 ❼鞆城 と ささやき橋 ❽医王寺

            鞆の浦 ぐるり観光 - すまりんの てくてく ふたり旅
          • [坂本龍馬の目]横井小楠政治への注目とは?

            今回は福井藩主松平春嶽(まつだいらしゅんがく)の政治顧問だった横井小楠(よこいしょうなん)について取り上げます。横井小楠は大河ドラマであまり登場することがないため、注目されていません。坂本龍馬(さかもとりょうま)や吉田松陰(よしだしょういん)ら著名な人物が横井小楠の政治に注目していたという記録が残っています。 まず、横井小楠の生い立ちから福井藩松平春嶽の政治顧問になるまでの過程を取り上げます。次に、横井小楠の政治と思想について取り上げます。終わりに、大成奉還後の横井小楠について取り上げます。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取

              [坂本龍馬の目]横井小楠政治への注目とは?
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