6月6日から7月27日まで札幌宮の森美術館で開催されている「この男、危険。榎忠展」。設営3日目に直接、榎忠(えのき ちゅう)さんとお話できる場を与えていただいた。 タイトルが「この男、危険。」というのだから、さぞかし怖い方なのかと思っていたら榎さんは笑顔で、そして関西人らしいジョーク付きで私たちの取材に答えてくれた。榎さんのスタイル、美への思い、そして自分自身への挑戦。マーケットを気にせず、とにかく自分を信じて、自分のやりたいことを大切にしている榎さん。大好きなお酒とたばこを片手に、約1時間半、榎さんの美への思いをお伺いした。 榎忠「ハンガリー国へハンガリ(半刈り)で行く」 1977年 写真提供:榎忠、札幌宮の森美術館 まず榎さんといえばこの半刈り姿が印象的ですよね。 うん、ほれ髪の毛っておもしろいやん。若い時はな1年間に10センチとかどんどんどんどん、余裕で伸びるやん。そんなん、丸坊主に
個展 EVERYDAY LIFE MULTI展(神戸自宅) 第6回ドクメンタ展 フェイスワークイベント(ドイツ・カッセル) ハンガリ(半刈)でハンガリー国に行く (ブタペスト・デブレッツェン) ※近所の人の理解を得て、自宅周りの環境全てを会場に開催した展覧会。左半身を半刈にして1年生活した後一端丸坊主にして、2度目は4年半かけて伸ばした体毛を右半身半刈にした。この風貌での各国入国は困難を極めた。
個展 EVERYDAY LIFE MULTI展(神戸自宅) 第6回ドクメンタ展 フェイスワークイベント(ドイツ・カッセル) ハンガリ(半刈)でハンガリー国に行く (ブタペスト・デブレッツェン) ※近所の人の理解を得て、自宅周りの環境全てを会場に開催した展覧会。左半身を半刈にして1年生活した後一端丸坊主にして、2度目は4年半かけて伸ばした体毛を右半身半刈にした。この風貌での各国入国は困難を極めた。
生きづらい現代社会をサバイブする!! 連載「生き様」は、アーティストやクリエーター達の生き様からみえてくる、現在(いま)を生き抜くヒントを共有、発信していきます。 大阪万博のシンボルマークを体に焼き付け、ふんどし姿で東京・銀座での日本初の歩行者天国を練り歩くも、わずか10分足らずのうちに騒乱罪で逮捕される。全身の体毛の半分をすべて剃り落とし、当時、共産国だったハンガリー国へ行く。かと思えば女装しRose Chuと称して2日間限りのバーを営むパフォーマンスを行う。大砲型の作品で行う祝砲パフォーマンスは榎忠の代名詞にもなっている。村上隆やヤノベケンジらにも影響をあたえたアーティスト、榎忠に自身の生き様について語ってもらいました。 ギャラリー島田 榎忠展 [MADE IN KOBE] にて 電車一両を丸ごと改造して作品に 鈴木:榎忠さんがアートをやり始めたきっかけを教えてください。 榎忠: きっ
榎忠の個展『LSDF-014』が、10月4日から東京・白金高輪の山本現代で開催される。 20代から独学で油絵を描き始め、旋盤工として金属加工会社に定年まで勤めながら、神戸を拠点に40年以上にわたってアーティスト活動を続けてきた榎。1979年には、兵庫県立近代美術館で開催された『アート・ナウ'79』で、「わが家の防衛対策は“一家に一台大砲を”」というメッセージと共に全長8メートルの大砲を展示した。同作は、「自分の生活は自分でまもる」という榎の信念を表すフレーズ「Life Self Defense Force」の頭文字「LSDF」が記された初の作品となる。 榎が東京で初めて開催する個展となる『LSDF-014』展では、過去最大サイズの大砲と、榎の原点となった作品を展示。日常生活の延長線上で制作活動を続ける榎は、これまで関西以外での展示にあまり必要性を感じていなかったが、特定秘密保護法案や集団的
フンドシ姿で銀座を闊歩、半刈りで街や電車の中を歩きまわる、妖艶な女店主に扮し観客に酒を振舞うなど、さまざまなハプニング(?)を起こしてきた榎忠の上映会開催中 『ハンガリー国へハンガリで行く』 (C) Chu Enoki 70年代より数々の伝説的パフォーマンスを繰り広げ、近年では鉄の廃材や金属部品から、全長数十メートル、総重量数十トンといった超スケールの彫刻やオブジェを発表するなど、その桁外れの想像力と創作力で常に我々の度肝を抜いてきた榎忠(えのちゅう)。その活動の全貌を明らかにすべく、BLD GALLERYでは4月5・12・19日に、東京においてはほぼ初公開となる貴重な映像10作品をまとめて上映する。 榎忠は香川県に生まれ、デザインを学ぶべく神戸へ移住。1965年頃より作品制作を開始し、70年「グループJAPAN KOBE ZERO」を結成。神戸の市街を都市劇場に見立て、集団で繰り広げる数
神戸を拠点に活躍する榎忠(1944-)の個展を開催します。 榎は、型破りなパフォーマンスをはじめ、銃や大砲など現代社会における刺激的な題材を扱ったり、今日多量に生み出される金属の廃材に新しい生命を吹き込んだりと、ユニークな活動を行ってきました。芸術と社会の境界に生きるアーティストといえます。 本展は、回顧展も兼ねた、榎の最大規模の個展です。美術館の地はかつて製鉄所でした。その地霊に惹かれた榎は、鉄を初めとする金属の野生で美術館を満たします。本物の薬莢、溶けた鉛、機械部品の山、変形・切断された鉄材などが展開される、超弩級の榎忠の世界をお楽しみ下さい。 榎忠のWEBサイトはこちら。 本展は、神戸ビエンナーレ2011連携事業です。 ■会期 2011年10月12日(水)~11月27日(日)47日間 会期中無休 開館時間:午前10時~午後6時(金・土曜日は午後8時まで)入場は閉館の30分前まで ■会
この存命人物の記事には、出典がまったくありません。 信頼できる情報源の提供に、ご協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。 出典検索?: "榎忠" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2018年5月) 香川県善通寺市生まれ[1]。16歳から現在に至るまで兵庫県神戸市に住む。美術教育の経験は20歳から通い始めたデッサン教室のみである。1965年から二紀展に作品を発表し、1968年に初個展「生成」を開催。このときは幻想的な絵画作品を主としていた。 1969年、鴨居玲らと洋画研究所〈0〉を設立。公募展のあり方に疑問を持って二紀会を脱退し、「グループZERO」を結
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