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死なう団の検索結果1 - 2 件 / 2件

  • それでも家を買いました(購入編) - Some Were Born To Sing The Blues

    19歳の時、大学進学を機に上京した。初めての独り暮らしは4畳半一間の学生専用ボロアパート。トイレ、風呂共同。家賃が1万5千円だった。部屋の窓を開けると大家の家の壁が見えた。というか、壁しか見えなかった。 それから36年、多少は部屋のランク(広さと家賃)は上がったが、ずっと賃貸物件暮らし。別に「俺は一生賃貸で構わない」というポリシーがあったわけじゃない。ただ単純に家を買うという選択肢が俺の人生で発生しなかっただけのこと。 20代で結婚し、30歳前後に35年ローンでマンションを買う。そういった世間に存在する王道のライフプランとは無縁だった。これは俺が若い頃に1度失敗してバツがついていることも影響している(詳細は書かない)。 相方と知り合った時、俺は38歳だった。相方は2つ歳下。それから2年交際して一緒になった。ちなみにプロポーズは相方からだ。これも詳細は書かない(書けない)。 俺も相方も40代

      それでも家を買いました(購入編) - Some Were Born To Sing The Blues
    • 「今に見ていろ。必ず復讐してやるから。必ず!」…東條英機が「血染めの軍服」に誓った復讐(保阪 正康)

      暗殺が歴史を動かした——。 血盟団事件、五・一五事件、神兵隊事件、死なう団事件、そして二・二六事件……。 暴力の連鎖が生んだ悲劇を繰り返さないために、「暗黒の歴史」から何を学ぶべきか。 『テロルの昭和史』は、昭和史研究の第一人者による警世の書である。 ※本記事は保阪正康『テロルの昭和史』から抜粋・編集したものです。 暴力と殺人と独善の支配する国家空間 昭和5年11月の濱口雄幸首相へのテロから昭和11年の二・二六事件に至るテロやクーデター計画は、大別すると軍人が中心の事件、民間右翼の側が主導権を握った事件に分けることが可能である。 神兵隊事件(未遂、昭和8年7月)までは民間右翼が中心になってのテロ、あるいはクーデター計画であった。昭和6年の三月事件、あるいは十月事件などは軍人が中心になっていたが、民間側も相応に親軍勢力の政権樹立に共鳴、共感していた事実もあった。 しかし昭和9年11月の陸軍士

        「今に見ていろ。必ず復讐してやるから。必ず!」…東條英機が「血染めの軍服」に誓った復讐(保阪 正康)
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