―――――― 今さら言うまでもないことだが、明治維新によって日本の政府は江戸幕府から明治政府に代わっている。それを通告するとともに国交を開こうと日本は朝鮮に使節を派遣したのだが、文書の文言が問題となって受け取ってももらえなかった。 日本では無礼であるとして武力によって開国を強いるという強硬論(征韓論)も出たが、明治六年政変でボツに。国内で騒乱が起きたことから朝鮮の問題は棚上げとなり、西洋式の正式な国交がないまま旧時代の惰性によって交流が続いていた。 今までは国内問題が〜と言い訳もできたが、台湾出兵の成功により小康状態となったことでこの問題に対処する必要が生じる。 対する朝鮮側は日本の台湾出兵とそれに清が宥和的な姿勢を見せたことで、いざ日本と戦端を開いた場合に清は救援してくれるのか? と疑念が生じた。さらに国内の政変で攘夷主義者である大院君が失脚したことで、日本との通好ができる余地が生まれて