吉良上野介の屋敷跡 (東京・両国で12月23日撮影) 目次 事件の舞台 ②吉良邸 隅田川の向こうに屋敷替え 広い屋敷だった 現在も一部保存されている吉良邸跡 吉良邸討ち入り 隣の屋敷の対応 吉良側で応戦したのは50人弱 吉良側の死者17人 「鎖かたびら」を着込み、死者ゼロの赤穂浪士 吉良の「首受け取り状」 事件の舞台 ③大石が切腹した細川家下屋敷 今は中学校の敷地に 事件の舞台 ②吉良邸 隅田川の向こうに屋敷替え 江戸幕府で「高家肝煎(こうけきもいり)」という儀式・典礼を司る要職に就いていた吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)―― 元禄14年(1701年)の江戸城松之廊下での刃傷事件のあと、高家肝煎役を辞任しました。吉良はさらに、江戸城に近い屋敷に住み続けるのは恐れ多いというわけで、屋敷替えを願い出ました。 すると幕府は、あっさりと受け入れ、内堀の一等地の屋敷から隅田川を渡った先の