1912年(明治45年)、細川侯爵家第16代当主・細川護立と博子(侯爵池田詮政の長女)の長男として生まれる。曾祖父に島津忠義と鍋島直正。旧制学習院高等科を経て京都帝国大学で狩野直喜博士の教えを受ける。京大法学部卒業後、企画院嘱託。 1940年(昭和15年)、第2次近衛内閣で首相秘書官に就任する。1943年(昭和18年)、昭和天皇の弟宮高松宮宣仁親王の御用掛となり宮中グループを中心に各方面の有識者から情報や意見を収集し、海軍グループで同郷出身の高木惣吉海軍少将に協力して東條英機暗殺未遂事件や終戦工作の一翼を担い、戦時中の動静を「細川日記」として戦後発表している。 戦後は政治から一線を引き、細川家当主として、伝来の書画茶道具などの工芸美術品を管理するため設立された財団法人永青文庫の理事長に就任。また、1922年に旧軽井沢ゴルフクラブで初めてゴルフを体験して以降のめり込んだ護貞は、日本ゴルフ協会