「あれを見い、右馬介」 「おあとに、何か」 「いや、覚一の姿が、まだわしたちを見送っておる」 「はて。見えもせぬ眼で」 「そうでない。見える眼も同じだ。 わしたちを振向かせているではないか」 ——この日、都を離れた主従は、 当然、数日後には、 東海道なり東山道の人となっているべきはずなのに、 やがて正月十日の頃、二人の姿は、 方角もまるで逆な難波《なにわ》ノ津(大阪)のはずれに見出された。 渡辺党の発祥地《はっしょうち》、 渡辺橋のほとりから、昼うららな下を、 長柄《ながら》の浜の船着きの方へ行く二人づれがそれで。 「若殿、どうしても、思い止まりはできませぬか」 「まだいうのか」 「でも、今日の便船にお乗りになってしもうては」 「そのため幾日も船宿で日を暮して来たのに、 この期《ご》となって」 「——が、難波の諸所も、はからず見ましたこと。 このたびは、ぜひこの辺でお引っ返し願いまする。