我が国最古の天覧相撲の記録は、日本書紀によると、第11代垂仁天皇の御前での大和の當麻蹶速 (たいまのけはや) と出雲の野見宿禰 (のみのすくね) のとりくみとなる。 もっともこの時代の捔力 (すまひ)、現代の角力 (すもう) とは少々異なっている。 なにしろ野見宿禰は、敗れた當麻蹶速の腰骨を踏み折ったというのだから、いまならさしずめデスマッチのレスリングといったところか。 また、そのとりくみの日が「垂仁天皇7年7月7日」とされているなど、相撲が七夕を中心とした一連の行事のひとつであったとも考えられている。 へえ、野見宿禰って出雲のヒトなんだね。 そうなんだ。ただ、山陰の出雲国とする説と、大和国の出雲、現在の奈良県桜井市出雲とする説の二説があるね。 どちらかはわからないのね。 日本書紀を読むと、七夕の7月7日に呼ばれてすぐに来たように読めなくもないから、大和の出雲とするほうが説得力があるかも