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鉄斎の検索結果1 - 7 件 / 7件

  • 富岡鉄斎は心のパイセン - りとブログ

    今、京都国立近代博物館で「没後100年富岡鉄斎」という特別展が行われているんですよね。 www.momak.go.jp 「最後の文人画家」と称される人なのですが「文人画家」ってのは元々は中国で、仕事にせずに教養として絵を描いてた人たちのことを称していて、それが日本に入ってきて、一時期は「中国風の絵を描く人」みたいな意味合いで使われてたものが次第に中国のように、一定の様式にとらわれず作者の感性の赴くままに自由にのびのびとした絵を描く人たち、みたいな感じで使われるようになったと理解しています。 また、文人画家の人たちは独自のネットワークを持っていて、割とみんな仲良かったようなイメージがしていて、それってつまり、今で言うところの、普段はサラリーマンをしてるけど余暇に趣味でお絵描きを楽しみ、ネットに公開してわちゃわちゃしてるぼくらと似てるよねー、なんて勝手な親しみを感じていたりします。 で、鉄斎さ

      富岡鉄斎は心のパイセン - りとブログ
    • 没後100年 富岡鉄斎|京都国立近代美術館 | The National Museum of Modern Art, Kyoto

      世に「最後の文人画家」と称えられる富岡鉄斎(1836-1924)。幕末、京都の商家に生まれた彼は、近世都市の商人道徳を説いた石門心学を中心に、儒学・陽明学、国学・神道、仏教等の諸学を広く学びながら同時に、南宗画、やまと絵等をはじめ多様な流派の絵画も独学し、深い学識に裏付けられた豊かな画業を展開しました。良い絵を描くためには「万巻の書を読み、万里の路を行く」ことが必要であるという先人の教えを徹底して守ろうとした彼は、何を描くにもまずは対象の研究に努め、北海道から鹿児島まで全国を旅して各地の勝景を探りました。そうして胸中に思い描かれた理想の山水を表出し、人間の理想を説いた鉄斎の絵画は、画壇の巨匠たちから敬われ、京・大阪の町の人々に広く親しまれただけではなく、むしろ新世代の青年画家たちからもその表現の自由闊達で大胆な新しさで注目され、生前から今日まで国内外で高く評価されてきました。 幕末に人格を

      • 老いるほどに輝く〜最後の文人画家・富岡鉄斎 「日曜美術館」先取り学習 | この海の向こう側

        はじめに 富岡鉄斎(とみおか てっさい)は、明治・大正時代の文人画家として知られ、「最後の文人画家」と称される人物です。80歳代になってからも奔放な筆さばきで数多くの作品を残し、89歳という長寿を全うしました。鉄斎のモットーは「万巻の書を読み、万里の路を行く」であり、若い頃から和漢の書籍を読み漁るとともに、北海道から九州まで全国各地を旅しました。没後100年を迎える今年、西洋画が流入し新たな潮流が巻き起こった明治大正時代、孤高を貫いた鉄斎の姿を紹介します。 鉄斎の生涯 生い立ちと青年期 1836年(天保7年)京都に生まれ、幼い頃から読書に親しみました。18歳で父を亡くし、家業を継ぎますが、20歳代半ばで家業を弟に譲り、学問と絵画に専念するようになります。その後、長崎に遊学し、南画派の祖門鉄翁に師事しました。 壮年期 幕末の動乱期には、勤王思想の影響を受け、尊王攘夷運動に身を投じます。明治維

        • “最後の文人画家”富岡鉄斎の展覧会、富山県水墨美術館で - “大胆な山水画”代表作などが一堂に

          企画展「没後100年・富岡鉄斎」が、富山県水墨美術館にて、2024年7月12日(金)から9月4日(水)まで開催される。京都国立近代美術館でも開催される巡回展だ。 文人画家・富岡鉄斎の画業と生涯富岡鉄斎 《富士山図》 明治31年(1898年) 清荒神清澄寺 鉄斎美術館 [後期展示予定]市井の画家として生き、「最後の文人画家」と称された富岡鉄斎(とみおか てっさい)。幕末の京都に生まれた鉄斎は、幅広い学問とさまざまな流派の絵画を学び、深い学識を背景に豊かな画業を展開した。 富岡鉄斎 《富士遠望図・寒霞渓図》 明治38年(1905年) 京都国立近代美術館 [前期展示予定]鉄斎は、「万巻の書を読み、万里の路を行く」を肝に銘じ、日本全国を旅して優れた景色を訪れている。こうして理想の山水を思いえがき、大胆かつ自由に表現した鉄斎の絵画作品は、同時代の画壇の巨匠や京都・大阪の町の人々ばかりでなく、若い画家

            “最後の文人画家”富岡鉄斎の展覧会、富山県水墨美術館で - “大胆な山水画”代表作などが一堂に
          • 知の巨人・富岡鉄斎の足跡たどる 大和文華館で没後100年の企画展:朝日新聞デジタル

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              知の巨人・富岡鉄斎の足跡たどる 大和文華館で没後100年の企画展:朝日新聞デジタル
            • 特別企画展 没後100年 富岡鉄斎 ―知の巨人の足跡―|展覧会|大和文華館

              HOME展覧会特別企画展 没後100年 富岡鉄斎 ―知の巨人の足跡― 特別企画展 没後100年 富岡鉄斎 ―知の巨人の足跡― 会期 2024年4月12日(金)~ 5月19日(日) 休館日月曜日休館(ただし、4月29日〈祝〉、5月6日〈振替休日〉は開館し、4月30日〈火〉、5月7日〈火〉が休館) 開館時間午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで) 入館料 一般 630円 高校・大学生 420円 小学・中学生 無料 ※20名以上の団体は相当料金の2割引で引率者1名無料 ※「障がい者手帳」をお持ちの方とご同伴者1名2割引 2024年は、近代日本を代表する知の巨人にして文人画家である富岡鉄斎(1836~1924)の、没後100年にあたります。京都の法衣商の家に生まれた鉄斎は、学問を重んじる家風のもと、若い頃から和漢の古典や諸学に親しみ、その中で育まれた膨大な知識、文人としての素養を、生涯の書

              • 「最後の文人」富岡鉄斎の足跡たどる 没後100年で奈良・大和文華館が特別企画展

                「日本最後の文人」と呼ばれた画家、富岡鉄斎(1836~1924年)の画業をたどる特別企画展「没後100年富岡鉄斎-知の巨人の足跡」が、奈良市学園南の大和文華館で開かれている。同館の所蔵品を中心に約50件を展示し、文人的素養を生かし多彩な作品を生み出した創作活動を伝える。5月19日まで。 鉄斎は京都の法衣商の家に生まれ、和漢の古典を学んで、学者として身を立てながら書画の制作に取り組んだ。古くからの画題や故事などに着想を得て、人物画や山水画などを多く描いた。 展示品のうち、54歳のときの作品「攀嶽(はんがく)全景図」は、縦2メートル超の大画面に大きな火口や無数の岩で構成された富士山を表している。実際に富士山に登った際に受けた印象が反映されているという。 晩年の「山荘風雨図」はどんなときも学問に没頭しようとする鉄斎の意志が、「寿老図」は長寿に対する鉄斎の心境がうかがえる。 また、鉄斎は親しかった

                  「最後の文人」富岡鉄斎の足跡たどる 没後100年で奈良・大和文華館が特別企画展
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