朱雀《すざく》院の行幸は十月の十幾日ということになっていた。 その日の歌舞の演奏は ことに選りすぐって行なわれるという評判であったから、 後宮の人々はそれが御所でなくて 陪観のできないことを残念がっていた。 帝も藤壺の女御《にょご》に お見せになることのできないことを 遺憾に思召《おぼしめ》して、 当日と同じことを試楽として御前でやらせて御覧になった。 源氏の中将は青海波《せいがいは》を舞ったのである。 二人舞の相手は左大臣家の頭中将《とうのちゅうじょう》だった。 人よりはすぐれた風采《ふうさい》のこの公子も、 源氏のそばで見ては 桜に隣った深山《みやま》の木というより言い方がない。 夕方前のさっと明るくなった日光のもとで 青海波は舞われたのである。 地をする音楽もことに冴《さ》えて聞こえた。 同じ舞ながらも面《おもて》づかい、 足の踏み方などのみごとさに、 ほかでも舞う青海波とは全然別な