鎖塚(2007年8月) 鎖塚(くさりづか)は、北海道で行われた苛酷な囚人労働を物語る史跡である。 囚人道路[編集] 明治時代の北海道では南下政策をとるロシアとの対抗上、軍用・開拓用の道路が急ピッチで建設された。札幌から大雪を越え、オホーツク海沿岸の網走市に達する中央横断道路(北見道路。端野までは、後に開通した鉄道の石北本線にほぼ沿っている)もその一つである。この道路は釧路集治監網走分監(現:網走刑務所)と空知集治監の囚人1115人を使役して建設され囚人道路と呼ばれた。北見峠 - 網走間が1891年(明治24年)4月に着工[1]。明治政府は「(雪で工事ができなくなる前の)年内に160キロメートルを完成させよ」と典獄に厳命し、同年12月には完成した[2]。深夜に及ぶ過酷な労働に加え、満足な寝所もない劣悪な環境、白米中心の食事による脚気などで、囚人211人、看守6人が死亡した[3]。逃亡しようと