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霞堤の検索結果1 - 7 件 / 7件

  • 酒匂川の堤防を歩く - ひとりしずか

    不意に大井町にあるひょうたん池の花菖蒲が気になったので行ってみた。ここの花菖蒲はすっかり終わり池がこざっぱりしていた。咲いていたのはアジサイ。 そのまま酒匂川の堤防になっている道を小回りしてみる フェンスの向こうをキジが歩いている 酒匂川サイクリングロード 私が立つ堤防(サイクリングロード)から向こうにも堤防が見える。案内板によると二重になっている堤防の間を水田にするなど遊水機能を持たせているのだそうだ。これは霞堤というが武田信玄が考案したとされているため信玄堤とも呼ばれるとのこと。 ツバメの幼鳥。じっと動かずにいたが、親かな?鳴き声が聞こえると飛び立った なんと!早くもひまわりが咲いていた

      酒匂川の堤防を歩く - ひとりしずか
    • 土の章 | 水土里の軌跡

      1. はじめに 図1に示すように、稲作の伝来から近世に至るまで、我が国の人口は食料供給基盤である農地面積とともにゆるやかに増加してきた。江戸時代の初期になると、農地面積は大幅に増加し、これに支えられて人口が増加し始める。明治以降になると、農地面積は更なる急増を迎え、人口が爆発的に増加するが、農地面積は昭和30年代をピークに急減に転じ、現在では人口増加も頭打ちとなって史上初となる人口減少時代を迎えている。「土の章」では、有史以前から私たちの命を支えてきた日本の農地の歴史を振り返り、我が国の農地の将来を展望する。 2. 稲作の伝来とクニの誕生 我が国では、紀元前10世紀頃に九州北部の玄界灘沿岸に水稲が伝来したとされており、稲作がはじまると、まずは集落の共同作業で河川下流部の後背湿地や谷地の湿地(図2)に水田が作られ、稲作は弥生期に青森県まで北進した(図3)。弥生後期から鉄製農工具(図4)が普及

      • 立川崖線に沿って歩く その4 昭島拝島町から羽村羽中まで - 散歩の途中

        昭島市拝島町から多摩川上流方向へ崖線沿いを歩きます。 現在地付近からは小さな段丘が複数段重なり崖線も複雑になってきます。もはや立川崖線と一意に定まらないので単純に『崖線』を使うことにします。 最初に崖線位置を示した例の地図〈ちょっと改良したつもり版〉を 《地理院地図を使用してカシミール3Dで加工しています》 前回の続きとして、階段部分を崖線が通っている拝島山普明寺大日堂前 最初の地図では中央やや右下の赤まる位置になります。今回はここからスタート。 大日堂の両隣りには普明寺薬師堂、日吉神社本殿が並びます。 その東隣りにある拝島大師(本覚院)など付近の寺院はここ大日堂の子院として建立され、別当寺だったそう。*1 大日堂前から南へ奥多摩街道を渡った次の通りは『日光脇往還』、またの名は八王子千人同心街道。拝島は八王子側最初の宿場でした。 水路の通る民家前に古い大きな木(昭島市拝島町4丁目) 旧街道

          立川崖線に沿って歩く その4 昭島拝島町から羽村羽中まで - 散歩の途中
        • 災害「わがこと」にするには 21世紀減災社会シンポジウム「気候変動時代の豪雨災害に備える」:朝日新聞デジタル

          21世紀減災社会シンポジウム「気候変動時代の豪雨災害に備える~西日本豪雨5年の歩みから学ぶ」(ひょうご震災記念21世紀研究機構、朝日新聞社主催、山陽新聞社共催)が1月27日、山陽新聞社さん太ホール(岡山市)であった。豪雨が増加傾向にある中、災害を自分事として捉えるにはどうすべきかを話し合った。 <参加者のみなさん> ◇基調講演 中北英一氏 京都大学防災研究所長 ◇パネリスト 木村玲欧(れお)氏 兵庫県立大学教授 伊東香織氏 岡山県倉敷市長 津田由起子氏 市民防災グループ「チームサツキ」代表 古川和宏氏 山陽新聞報道部副部長 ◇コーディネーター(オンライン) 御厨(みくりや)貴氏 東京大学名誉教授 ◇総括 五百旗頭(いおきべ)真氏 ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長 佐々木英輔 朝日新聞編集委員 ■基調講演 降雨量増踏まえた治水を 中北氏 ここ10年、梅雨や台風による豪雨災害が頻発してい

            災害「わがこと」にするには 21世紀減災社会シンポジウム「気候変動時代の豪雨災害に備える」:朝日新聞デジタル
          • 霞堤の人気記事 6件 - はてなブックマーク

            霞堤に関するエントリは6件あります。 社会、 災害、 生活 などが関連タグです。 人気エントリには 『Kent AOKI on Twitter: "これは見事な洪水制御の写真 単に氾濫しているのではなく,霞堤によって制御されている氾濫.浸水しているのは当初から氾濫が想定されいる遊水地となる場所.さらに,堤防として機能させることを想定して作られている道路もしっかりと集落への浸水… https://t.co/Eqn9aZAFTu"』などがあります。

            • 文明とインフラ・ストラクチャー第23回 ピラミッドの謎(1)─ ピラミッドの目的 ─|建設情報クリップ|けんせつPlaza

              紀元前6,000年、つまり8,000年前にナイル川流域に人々が定着し始めた。 そして、紀元前3,000年ごろ、つまり5,000年前にナイル川流域にエジプト王朝が誕生していった。 そのエジプト第三王朝の紀元前2,500年ごろから、1,000年間に渡ってピラミッド群を建設していった。 つまり、4,500年前から3,500年前ごろの1,000年の間に、ピラミッド群は建造された。 これは研究者の一致する見解となっている。 ピラミッドの材料の石灰岩は、ナイル川の東部に連なる山々から切り出された。 毎年7月から9月、ナイル川は増水し氾濫する。 ナイル川東岸で切り出された石は、ナイル川の氾濫時にイカダで西岸に運搬された。 石はナイル川西岸の船着場で降ろされた。 その石はコロの上に乗せられ、長い斜路、または、ピラミッド周囲の取り巻き斜路で引っ張り上げられ、高く組み立てられていった。 このように、「誰が」「

                文明とインフラ・ストラクチャー第23回 ピラミッドの謎(1)─ ピラミッドの目的 ─|建設情報クリップ|けんせつPlaza
              • 事業計画来年3月間に合わず 那須烏山市の防災集団移転:朝日新聞デジタル

                2019年の台風19号で被災した那珂川沿岸の宮原、下境2地区の防災集団移転事業に取り組む栃木県那須烏山市は21日、移転の前提となる事業計画策定が予定していた来年3月に間に合わないとの見通しを示した。市議会全員協議会で明らかにした。 これまで市は策定に必要な国土交通大臣の同意を来年3月に得る目標を掲げていた。被災世帯は宮原が39世帯、下境が69世帯。 今年初め、両地区を複数地域に分け、地域ごとに順次移転を進めると住民に説明した。個別相談会で移転希望について9割弱の確認を終え、残る世帯を確認中だ。現時点、移転を拒む世帯はないという。 一方、事業計画策定に向け、最初に移転する各世帯が住宅団地のどの区画に入るか整備計画で決めなければならないが、作業は進んでいない。国からは全体の青写真も求められたが、それも未定だ。 来年3月の予定が間に合わないことに、宮原の被災住民(73)は「4年前は夢中で片付けた

                  事業計画来年3月間に合わず 那須烏山市の防災集団移転:朝日新聞デジタル
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