香港映画を変えた男、マイケル・ホイ 1960年代からカンフー映画一辺倒だった香港映画は、一人の天才コメディアンの登場で激変することになる。 マイケル・ホイ(許冠文)。1942年生まれのマイケルは、香港ラサールスクール、香港中文大学を卒業したエリート中のエリート。教職に就くなど普通に就職していたが、シンガーとして先に芸能界入りをしていた末弟サミュエルに誘われ、26歳でテレビ司会者として芸能界入りした。香港最大の映画会社ショウ・ブラザース社のリー・ハンシャン監督(ミュージカル時代劇を得意とし、後に『西太后』[1984年]や『火龍』[1987年]を監督)に抜擢されてコメディ映画『大軍閥』(1972年)に主演。活躍の舞台をテレビから映画へとシフトしていく。 ショウ・ブラザース社で『一樂也』(1973年)、『醜聞』(1974年)、『聲色犬馬』(1974年)という3作のコメディを撮った後、自らの映画製