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自分には、今より合っている仕事や、もっと夢中になれる仕事があるんじゃないかーー? 働く上で、そんな悩みを抱いたことはありませんか。 好きなことを仕事にすることの素晴らしさや、一貫したキャリアを歩むことばかりが評価されがちな現代ですが、「自分はどんな仕事に向いているのか」を自己分析し、就職・転職するのは簡単なことではありませんし、それが“正しい”とも限りません。 今回お話を伺ったフリーランス校正者の牟田都子(むた・さとこ)さんも、30歳で「校正」という仕事に出会うまで、「好きだけど、向いていない」という理由で何度か転職を経験してきました。ときにはあてもなく仕事を辞めて「無職」になったことも。 しかし校正の職に就いて13年がたち、「指名」で仕事が来るようになった今でも、この仕事が自分に向いているとは思っていないそうです。そんな牟田さんに「仕事との出会い方」や「好きな仕事と適性のギャップ」などに
全てのお酒には造り手がいて、売り手がいて、そして飲み手がいます。地酒の「地」を考えるこの連載、前回の記事で注目したのは、造り手が追求する「地」である「原材料」でした。 今回は「売り手」と「飲み手」について、そのなかでも日本酒の「流通と消費」の地域性について考えてみましょう。仮に造り手が究極の「地酒」を謳っても、地元ではそれを買えず、誰も飲んでいない、となればそれを「地酒」と呼べるのか、疑う人もいるでしょう。流通・消費は地酒の「地」を考えるうえで重要なテーマと言えそうです。 また流通・消費は次回のテーマである「経済」とも密接に関わっています。その関連性にも触れながら、流通・消費の地域性にはどのような要素があるのか、分析してみます。 物流 - 時代によって変わる、地域性への影響「流通」という言葉は、大きく「物流」と「商流」に分けることができます。初めに流通の一つ目の要素である、地酒の物流につい
政治改革再考 :変貌を遂げた国家の軌跡 (新潮選書) 作者:聡史, 待鳥 発売日: 2020/05/27 メディア: 単行本(ソフトカバー) 民意の罠~王様をほしがったカエル~ 「白河の清き川」を求めた90年代 中選挙区の金権政治 金と人事で縛る 選挙に勝てる顔 決められる政治としての小選挙区制 野党はまとまれない 決める場所として経済財政諮問会議 政治家が人事権を握り公務員の自律性を奪う改革~忖度は人事権~ 参考文献 脱官僚の始まり その他 民意の罠~王様をほしがったカエル~ 二大政党制 クリーンな政治(清廉潔白) 政治主導(=公務員批判) 決められる政治 責任ある政治 構造改革 教育改革 これにどれか一つでも当てはまれば、あなたが今回も戦犯です。 「白河の清き川」を求めた90年代 事は二大政党制やクリーンな政治は90年代から始まった政治改革に始まる。 いわゆるリクルート事件*1で、政治
剣kenn @hskenncutter 無肥料連作を続けた場合、麦類は水稲の半分ほどの収量比しか確保できない。水稲栽培には20℃以上の気温や降水量が必要で、ヨーロッパはほとんど条件を満たさない。近代以前のヨーロッパの穀物生産力は著しく低い。 剣kenn @hskenncutter 13〜14世紀にはヨーロッパの生産力の実態をつかめるようになるが、収穫量平均は播種量の3〜4倍程度に過ぎない。19世紀初めでも5〜6倍のまま。対して江戸時代の日本の水田は、平均的な中田の収穫量が播種量の30〜40倍に達する。水田の異常な生産力の高さが分かる。
はじめに言っておきますが、「中世ヨーロッパの収穫率(播種量→収穫量の倍率)が3倍程度だった」というのは資料上確かな事実であり、これ自体を否定する気は一切ありません。 しかしながらここから「ヨーロッパの農民は常に少ない収穫に苦しんでいた」だとか、「30倍にもなる稲は麦より優れた作物だ」なんて話に進んでいくのを見ると、それはちょっとおかしいぞと思います。 今回はそうした状況を生じる要因について見ていきながら、この数字のトリックを暴いていきたいと思います。 ■灌漑に関する話 農業の大きな区分として「天水農業」と「灌漑農業」があります。 これらは作物に対する水の供給方法の違いであり、前者は基本的に降雨からのみ、後者は河川等から人為的に引き込む方法をとります。 日本がどちらかといえば完全に後者が多く、代表的なのは言うまでもなく水田稲作でしょう。 また学校教育の世界史なんかでも、文明成立=灌漑農業とし
36歳男。 今朝、死ぬ夢を見た。 路上で倒れて俯瞰視点になって誰も助けてくれない。 目が覚めてから走馬灯のように人生を振り返った。 結婚もしてないし女性とお付き合いした経験もない。学生時代の栄光もなければ仕事で活躍したりもしてない。そして今コロナで職場を追われその日暮らしをしているが、それでも悪くはないなと思えることも多かった。 幼少時に両親が離婚し、母親に育てられた。 2年の時だったか、「お父さんの仕事についてお話を聞いてきましょう」という宿題が出て、俺は母親に聞くしかなかったからそれを発表したら「何でお母さんなの?」みたいになって、教師の大したフォローもなく大泣きしながらそのまま帰った。 その日から不登校になったが、あの宿題の出来は結構良かった記憶。 文化祭のタイミングで教師がうちに来て、文化祭は来ような、みたいな感じになって「ふじまる」という相撲取りの役をやった。あれはイマイチだった
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