タグ

微妙な問題に関するqt_fbのブックマーク (2)

  • 三度の食事は優越感、三時のおやつも優越感 - シロクマの屑籠(汎適所属)

    優越感ゲームに動員されるiPodと音楽 - シロクマの屑籠 iPodのようなアイテムや、バリエーション豊かな音楽などの各種文化的コンテンツが「あなたはとは異なる人間であること」「あなたと違ってくだらなくない人間であること」を自分自身に言い聞かせるうえで有効であることは上記リンク先で述べた。述べたわけだが、さて、こういったことはコミュニケーションに不遇の人達だけが、こっそりと影でやっていることだろうか?否、断じて否。そりゃあ「出るくいは打たれる」状況で「出っ張る力のない人達」においては、影でコソコソiPodを聴きながら踏ん反りかえっていなければならないかもしれない。だが実際にはそうではない人達もいる。コミュニケーション上の制約さえクリアーできるなら、もっとおおっぴらに自分が優れていると思うコンテンツを「他の人達にもわけてあげてじかにほめてもらう」ことだってできるし、特定のサービスにおいては、

    三度の食事は優越感、三時のおやつも優越感 - シロクマの屑籠(汎適所属)
    qt_fb
    qt_fb 2007/11/26
    優越感というか、コンテンツのメタ的消費ではないのかしら
  • 個人史は終焉しない。続く。

    ある個人氏の終焉、と言う文章を先日読んだ。男女が出会い、子供を妊娠した、と言う話だ。 私は十代のころに子宮筋腫が出来、そして手術を受けた。不妊の傾向はあるだろう、と言う診断もその時受け、定期的に通院している。 私は子どもの頃から、よく人のことを聞く人間だった。勉強はするもので、ご飯はべるもので、部屋は綺麗にするもので、結果は収めるものである、と。自分の生の意味を考え始めたのは思春期の頃だ。大概、親のために、社会のために。上手に生きるため、に収束した。私は常に落胆した。酷く憂に毎日を暮らした。したいことは何も無かった。酒を飲み、寝て、を読んだ。しかし私は何者にもなれなかったし、ならなかった。なる事を選ぶことすらしなかった、出来なかった。 学生のころに恋人と暮らすようになった。恋人といると安心はした。しかし、恋人は私の生に意味を与えてはくれない。私はその、その人が体験する、一部の風景でし

    個人史は終焉しない。続く。
    qt_fb
    qt_fb 2007/11/19
    また違和感を感じた
  • 1