昭和49年から55年までの日立のカタログでございます。 和歌山の橋本さんが、ラジカセ少年の宝物のカタログを 当研究室宛に寄贈してくださいました。ほんと大感激です。 カタログ一枚一枚に橋本さんの想い出がいっぱい詰まっているのに・・・・。 橋本さん、貴重なカタログを、本当にありがとうございます。 発行年月をファイル名にしてあります。 (たとえばh197406-1.JPGならば1974年6月発行) クリックすると大きくなりますよ。
カシオ計算機が発売した電子ゲーム「ゲーム電卓」シリーズ。初めて見た時は衝撃的でした。 何せビジネス使用の電卓でゲームが出来てしまうのですから。 どんなゲームが遊べるのか想像が出来ませんでした(当時、電卓を所有している小学生なんていませんでした)。 当時、社会現象にまでなったゲームに「スペースインベーダー(タイトー)」(以下、業務用)があります。 (ゲーム電卓発売時にはブームが沈静化してしまってたのか知りませんが・・) おなじみのインベーダーゲーム、名前を聞いただけで誰でも分かるゲームです。 この「デジタルインベーダー」も名前から分かる通り、業務用を意識した内容となっています。 ただ画面が数字表示だけなので、業務用の雰囲気どころかインベーダーそのもの自体、再現は無理だろうと 思われるでしょう。無理もありません。なんてったって数字だけですから。 しかし、このゲームには電卓でイ
20歳の頃は、いつも原宿辺りで遊んでいた。 あの頃よく飲みに行っていたのが、居酒屋のとんちゃんと、神宮前の交差点 近くにあったウィーン・ボンボンという小さな洋食屋さんだった。 とんちゃんは、友達がバイトしていたので、飲みに行くようになったのだけれど、 今思えば、初めてやきとんを食べたのが、とんちゃんだった。 木造のきれいとは言い難い飲み屋だったけれど、デザイナーとか美容師やマ スコミ系の当時の先端を行く人達がよく集まっていた。 僕はその店で、ハードコア・パンク・バンドのボーカルのMさんと仲良くなって、近 くにあるMさんの自宅までおじゃましては、よくごちそうになっていた。 僕は、まったく知らなかったんだけれど、Mさんは伝説のパンクロッカーで、無茶 苦茶怖い人らしいんだけれど、僕らの前では普通に優しい人だった。 ただ、見てくれは、モヒカン刈りだし普通じゃないことだけは確かですけどね(笑) まあ
20数年前、原宿にあった ウィーンボンボンという欧風料理店について。 原宿交差点から明治通りを渋谷方面に少し進んだ左岸にあるお店でしたが ある日行ってみたらなくなっていました。 汚くて小さなお店でしたが、でも、安くてすごくおいしくて 当時初老とおぼしきオーナーシェフは独特のカリスマ性を放っていたという思い出があります。 若いアシスタントの男性もいたと記憶していますが。。。 お店はその後どこかへ移転したのか それとも完全に閉店してしまったのでしょうか。 ご存知の方がいらしたら、おしえてください。
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