3月11日午後2時46分、私は埼玉県志木市の自宅で地震に遭遇した。最初はゆるやかだった揺れがなかなか止まず、これはおかしいぞと思った時、家全体をぐらつかせるほどの大揺れが来た。 テレビをつけて、震源地と震度を確認しようとする間にも揺れは強まり、これはとんでもない大地震だと分かった。 私は台所でカレーを作っていて、ほぼ出来上がったカレーがこぼれないように、必死に鍋を押さえていた。しかし、この揺れには際限がないらしいと判断すると、短縮授業で帰宅していた中学3年生の長男に「外に逃げるぞ」と呼びかけた。 カレーは諦め、財布をズボンのポケットに突っ込み、靴をはいて庭に出ると地面と近所の家々が波打つように揺れている。「おとうさん、震源地は仙台の方だって」と遅れて出てきた息子が叫び、私は小学1年生の次男がいる小学校へと走った。 通りには近所の人々が出ていて、心配そうに肩を寄せ合っている。「震源地は仙台の
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