雲。その雲がゆっくりと湧いている。その雲に、山村暮鳥は石鹸を見た。その自在な形の動向に夢中になったり興味をおぼえたりする者は少なくない。少年マックス・エルンスト(1246夜)はそこに「時の誕生と落下」を読む。宮沢賢治(900夜)はそこにカルボン酸の夢を見た。それなのに子供のころの白隠はこの雲の姿に無常感を見た。 元禄12年は、白隠15歳。のちにここに住むことになった原(沼津)の松蔭寺の単嶺和尚の門に入って慧鶴を名のり、無常の正体を知ろうとしたのだが、和尚は2年後に遷化した。やむなく近くの大聖寺に入った。けれどもいろいろ尋ねても無常の正体など、いっこうに埒があかない。そこでいったんは儒に走ろうとして、美濃不破郡の馬翁という和尚のところに赴いてみるのだが(大垣瑞雲寺)、やはりどうにもほど遠い。詩文ばかりに熱中した。ただ馬翁が書籍の虫干しをしているときに、ふと『禅関策進』の一節に出会った。「引錐
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