夕張には何度か足を運んだ。北海道に行くときは、青函連絡船で函館に夕方到着すると、そこで夕食をとって夜行列車で苫小牧に向かい、夕張近辺で朝を迎えるというのがお決まりのコースであった。 はじめのころは、夕張線(現・石勝線)の蒸気機関車も元気よく走っており、北炭真谷地炭鉱の専用線や三菱大夕張鉄道も残っていた。 1976年秋の2回目の渡道では、5万分の1の地図を片手に、あちこちでトロッコや簡易軌道の線路を探すことを目標の一つとしていた。そして、この日は、午前中に北炭楓鉱のトロッコを「発見」し、午後からは夕張に向かったのである。