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ブックマーク / www.aozora.gr.jp (53)

  • 太宰治 津軽

    [#改丁] 序編 或るとしの春、私は、生れてはじめて州北端、津軽半島を凡そ三週間ほどかかつて一周したのであるが、それは、私の三十幾年の生涯に於いて、かなり重要な事件の一つであつた。私は津軽に生れ、さうして二十年間、津軽に於いて育ちながら、金木、五所川原、青森、弘前、浅虫、大鰐、それだけの町を見ただけで、その他の町村に就いては少しも知るところが無かつたのである。 金木は、私の生れた町である。津軽平野のほぼ中央に位し、人口五、六千の、これといふ特徴もないが、どこやら都会ふうにちよつと気取つた町である。善く言へば、水のやうに淡泊であり、悪く言へば、底の浅い見栄坊の町といふ事になつてゐるやうである。それから三里ほど南下し、岩木川に沿うて五所川原といふ町が在る。この地方の産物の集散地で人口も一万以上あるやうだ。青森、弘前の両市を除いて、人口一万以上の町は、この辺には他に無い。善く言へば、活気のある

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    r_coppelia 2014/04/23
    "港の桟橋へ出て、海峡を渡つてくるいい風にはたはたと吹かれながら赤い糸について話合つた。それはいつか学校の国語の教師が授業中に生徒へ語つて聞かせたことであつて、私たちの右足の小指に眼に見えぬ赤い糸がむ"
  • 池田菊苗 「味の素」発明の動機

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    r_coppelia 2013/11/07
    "多くもあらぬ小遣銭は尽く薬品器具の購入に費し、家人の迷惑をも顧みず酸類にて衣服や畳に孔を穿ち又硫化水素などを弄びて実験を行ふを唯一の楽とせり。"
  • 菊池寛 芥川の事ども

    芥川の死について、いろいろな事が、書けそうで、そのくせ書き出してみると、何も書けない。 死因については我々にもハッキリしたことは分らない。分らないのではなく結局、世人を首肯させるに足るような具体的な原因はないと言うのが、当だろう。結局、芥川自身が、言っているように主なる原因は「ボンヤリした不安」であろう。 それに、二、三年来の身体的疲労、神経衰弱、わずらわしき世俗的苦労、そんなものが、彼の絶望的な人生観をいよいよ深くして、あんな結果になったのだろうと思う。 昨年の彼の病苦は、かなり彼の心身をさいなんだ。神経衰弱から来る、不眠症、破壊された胃腸、持病の痔などは、相互にからみ合って、彼の生活力を奪ったらしい。こうした病苦になやまされて、彼の自殺は、徐々に決心されたのだろう。 その上、二、三年来、彼は世俗的な苦労が絶えなかった。我々の中で、一番高踏的で、世塵を避けようとする芥川に、一番世俗的な

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    r_coppelia 2013/11/02
    "我々の次の時代においては、和漢の正統な伝統と趣味とが文芸に現われることなどは絶無であろうから。"
  • 太宰治 食通

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    r_coppelia 2013/11/02
    "ロシヤでは、ライスカレーでも、手で食べるそうだ。"
  • 二十四世 観世左近 よくぞ能の家に

  • 宮武外骨 一円本流行の害毒と其裏面談

    [#ページの左右中央] 著作界の売名家、奇人変人中のニセ悪人 雑学大博士 外骨先生著 近来にない簡潔犀利の力作 一円流行の害毒と其裏面談 熱烈の筆 痛快の論 辛辣と皮肉 好謔と善罵 拍案拍掌 愉絶壮絶 溜飲の薬にもなる 書の著者は彼是と多忙の身であるが、現在の円流行を黙過すべからざる害毒問題として、天下に吼号し、以て読書界の進展と出版界の転機を促さんとするのである、これがため著者は、円出版屋の怨恨と憎悪を受けて、ヤミウチされるかも知れないが、著者は再生外骨として一二の国家的事業を遂げねばならぬ貴重の身、今彼輩の手にかかるのは勿体ない、ナルベク其危殆を免れたいという生存欲で、聊か深刻と徹底を欠くの嫌いはあるが、総て具体的の記述を避けて、抽象的暗示的の筆を執る事にした、それで何だか卑怯らしい所もあるが、円出版屋の大広告を載せて有卦に入る諸新聞、印税を貰って北叟笑む蚊士共、それ等に縁固

  • 木村小舟 太陽系統の滅亡

    新世界建設同盟会=恐怖時代=死世界は活世界となる=エーテルの利用=地球を運搬す=最後の通告=地球の末期 上 太陽滅亡の悲惨 太陽及びその他の惑星は、近き将来に於て滅亡せんとす! との一声は、あたかも響きの物に応ずるがごとく、全世界に向って、電光の速かなるように走り報じたのである、太陽の滅亡! と同時に、全地球上の人類は、我(わが)住所の絶滅、我あらゆる者の滅尽を連想して、如何に彼らは、多大の恐怖と、悲嘆とに陥ったであろうか、神経の過敏なる者どもは、この一声の警電を耳にしただけで、すでに生気を絶たれたほどであった。 宇宙は不可解なり、されど不可解だけに、また如何なる世界があろうやら知れない、宗教上に説く所の、天堂極楽のごときも、あるいは我が太陽系統以外の恒星界を意味するかも知れぬ、坐して滅亡の悲運を目前に眺めんよりは、しかず広大なる宇宙に走って、さらに新世界を築かんには! 欧米の学者はともに

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    r_coppelia 2013/10/25
    "息ある人の体量と、死せる者の体量と比較し見よ、" "この不可解の重量こそ、正しく霊魂その者の目方たること、漸(ようや)く千九百〇六年の最近に於て、しかく断定せられたのである。"
  • 木村荘八 吉原ハネ橋考

  • 森林太郎 私が十四五歳の時

  • 中原中也 ヂェラルド・ド・ネルヴァル

    今から百年ばかり前のことだ、仏蘭西はエルメンノンヴィユに近い一小村モンタニーの、或るお祭の日の黄昏(たそがれ)時、アドリンもその辺の娘達と草の上で踊るために出て来た。当時十八才のヂェラルド・ド・ネルヴァル――後世狂詩人として知られた男と――アドリンは図らずも一緒に踊ることとなつた。踊り終つてヂェラルドは彼女の頬に接唇し、彼女の頭髪に桂をかざしてやつた。彼は彼女が、今は昔恋の罪のために父君から塔の中に幽閉せられるやうになつた姫に関する悲しい歌をうたふのを聞いた。 以来アドリンは彼によつて忘れられないものとなつた。後に彼はアドリンが出家して死んだと聞いたが、その面影は彼に残つて生きつづけ、其後彼は他の女を愛したが、それはかのアドリンの化身としてであつた。 ヂェラルドは狂つた。二三度顛狂院に送られもした。最後には或る雪の凍つた朝木賃宿の窓の横木に首を縊つた。――笑つちや不可ねえ、狂人といふものは

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    r_coppelia 2013/10/07
    "笑つちや不可ねえ、狂人といふものは恐らく諸君のやうに結構な適従性を持つて生れなかつたのだ。"
  • 寺田寅彦 断水の日

    十二月八日の晩にかなり強い地震があった。それは私が東京に住まうようになって以来覚えないくらい強いものであった。振動週期の短い主要動の始めの部分に次いでやって来る緩慢な波動が明らかにからだに感ぜられるのでも、この地震があまり小さなものではないと思われた。このくらいのならあとから来る余震が相当に頻繁(ひんぱん)に感じられるだろうと思っていると、はたしてかなり鮮明なのが相次いでやって来た。 山の手の、地盤の固いこのへんの平家でこれくらいだから、神田(かんだ)へんの地盤の弱い所では壁がこぼれるくらいの所はあったかもしれないというような事を話しながら寝てしまった。 翌朝の新聞で見ると実際下町ではひさしの瓦(かわら)が落ちた家もあったくらいでまず明治二十八年来の地震だという事であった。そしてその日の夕刊に淀橋(よどばし)近くの水道の溝渠(こうきょ)がくずれて付近が洪水(こうずい)のようになり、そのため

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    r_coppelia 2013/08/28
    "すべてのものがただ外見だけの間に合わせもので、ほんとうに根本の研究を経て来たものでない" "質の研究のできていない鈍刀はいくら光っていても格好がよくできていてもまさかの場合に正宗の代わりにならない。"
  • 宮沢賢治 税務署長の冒険

    一、濁密防止講演会 〔冒頭原稿数枚なし〕 イギリスの大学の試験では牛(オックス)でさへ酒を呑(の)ませると目方が増すと云(い)ひます。又これは実に人間エネルギーの根元です。酒は圧縮せる液体のパンと云ふのは実に名言です。堀部安兵衛が高田の馬場で三十人の仇討(あだう)ちさへ出来たのも実に酒の為にエネルギーが沢山あったからです。みなさん、国家のため世界のため大に酒を呑んで下さい。」(小学校長が青くなってゐる。役場から云はれて仕方なく学校を貸したのだが何が何でもこれではあんまりだと思ってすっかり青くなったな)と税務署長は思ひました。けれどもそれは大ちがひで小学校長の青く見えたのはあんまりほめられて一そう酒が呑みたくなったのでした。なぜならこの校長さんは樽(たる)こ先生といふあだ名で一ぺんに一升ぐらゐは何でもなかったのです。みんなはもちろん大賛成でうまいぞ、えらいぞ、と手をたゝいてほめたのでした。税

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    r_coppelia 2013/08/28
    "堀部安兵衛が高田の馬場で三十人の仇討(あだう)ちさへ出来たのも実に酒の為にエネルギーが沢山あったからです。みなさん、国家のため世界のため大に酒を呑んで下さい。"
  • 宮沢賢治 月夜のでんしんばしら

  • 寺田寅彦 家庭の人へ

    風呂の寒暖計 今からもう二十余年も昔の話であるが、ドイツに留学していたとき、あちらの婦人の日常生活に関係した理化学的知識が一般に日の婦人よりも進んでいるということに気のついた事がしばしばあった。例えば下宿のおかみさんなどが、呼鈴(よびりん)や、その電池などの故障があったとき少しの故障なら、たいてい自分で直すのであった。当時はもちろん現在の日でも、そういう下宿のお神さんはたぶん比較的に少ないであろうと思われる。室内電燈のスウィッチの、ちょっと開けてみれば分るような簡単な故障でも、たいてい電燈会社へ電話をかけて来てもらうのが普通であるらしい。 些細なようなことで感心したのは、風呂を立ててもらうのに例えば四十一度にしてくれと頼めばちゃんと四十一度にしてくれる。四十二度にと云えば、そんなに熱くてもいいのかと驚きはするが、ちゃんと四十二度プラスマイナス〇・何度にしてくれるのである。もちろんこれは

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    r_coppelia 2013/08/27
    "これは適者生存自然淘汰の原理によって、元来寒暖計などあるまじき原始人の風呂場にあった寒暖計が、当然に自然に消失したものであろう。"
  • 村山籌子 ワタシハ ジヤガイモ

  • 村山籌子 三匹ノ コグマサント キシヤ

  • 村山籌子 泣き虫の小ぐまさん

    小ぐまさんは大変泣き虫でした。朝から晩まで、泣いてばかりゐました。 ある朝、目を覚まして、お床のなかでじつとしてゐますと、ふいに、鳥小屋のにはとりが「コケコツコー。」となきました。それをきいて、小ぐまさんは、つい、貰(もら)ひ泣きをしました。が、気がついて見ると、自分ながら、あまり馬鹿々々(ばかばか)しいので、かう決心しました。 「にはとりのくせに、なくなんて生いきだ。」 そして、鳥を野原の真中(まんなか)へもつて行つて、逃してしまひました。それからといふものは、いままで、毎朝べてゐた、おいしい卵をべることが出来ないので、小ぐまさんは、一日五十匁(もんめ)づゝ、やせてゆきました。 或(あ)る時、いつもなる、時計が、時を打ち初めましたが、あひにくと、十二打ちました。がまんのならない、長さです。それで、小ぐまさんはいやになつて泣きだしました。そして、あとで腹を立てて、たう/\村の古道具やへ

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    r_coppelia 2013/08/27
    "心配した近所の人たちが相談して、必ず、泣き虫がなほる「荒熊病院」へ入院させました。そして、すつかり、泣き虫が、なほつたさうです。みなさんの中で、どなたか、荒熊病院に入院しなくちやならない方はありませ"
  • 古川緑波 ああ東京は食い倒れ

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    r_coppelia 2013/03/21
    "(敗戦後、中華料理と言わなくちゃいけないと言われて来たが、もういいんだろうな、支那料理って言っても)"
  • 坂口安吾 日月様

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    r_coppelia 2013/03/06
    "変態でもなんでもないくせに女装するなんて、頭のネジが左まきのシルシにきまってる"
  • 中谷宇吉郎 サラダの謎

    私はごく普通のフランス風のサラダが好きである。レタスとトマトを、酢とオリーブ油でドレスしただけの簡単なサラダのことである。洋は、一般にいってあまり好かないが、このサラダだけは例外で、卓に出ていると、つい先に手が出る。 ものの好き嫌いなどというものは、たいてい子供の頃か、せいぜい二十代までの生活環境できまるものらしい。私がこのサラダを好きになったのは、若い頃、もう三十年も昔のことであるが、ロンドンに留学していた頃に、下宿で毎晩非常にうまいサラダをわされたのが、今日まで後をひいているようである。 大学を出て、三年間理研(りけん)で、寺田寅彦先生の助手をつとめていたが、北海道大学に理学部が出来ることになって、急に文部省の留学生として、ロンドンへ留学することになった。 ロンドン人は、人づき合いが悪く、世界で一番英語の通じないところは、ロンドンだといわれている。そこへまだ三十前の、しかも日

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    r_coppelia 2013/01/04
    "ロンドン人は、人づき合いが悪く、世界で一番英語の通じないところは、ロンドンだといわれている。"