「食事の前に手を洗おう」 という文を真に受けた人間は、食事をしたいから手を洗って食事をする。 「手遅れになる前に病院に行こう」 という文を真に受けた人間は、手遅れになりたくないから病院に行き、手遅れになることを免れる」 〇〇の前にの〇〇が発言者にとって望ましいことか望ましくないことかで全く意味が異なるのだ。厄介なことに発言者の望みは聞き手が勝手に解釈するしかない。 で、最近問題の「実在の児童に手を出す前に、ラブドールを」って文を読もう。 小児性愛者は実在の児童に手を出そうとしているに違いないという予断を持って読む人は「食事の前に手を洗おう」と同じ解釈をする。即ち、ラブドールを使った後実在の児童への加害に発展すると読む。 逆にいくら小児性愛者といえど犯罪かつ凶悪な行為に手を染めたくないに違いないという予断を持って読む人は「手遅れになる前に病院に行こう」と同じ解釈をする。即ち、ラブドールを使う