同志社大学工学部卒業後、同志社大学大学院修了。 大学時代、加藤与五郎博士に薫陶をうける。不揮発性メモリー(フラッシュメモリー)の発明者とされているが、文化功労者で東北大学名誉教授の舛岡富士雄博士の方がフラッシュメモリー発明者として認知度が高い。 1980年株式会社半導体エネルギー研究所を設立、社長に就任。同社は、知的財産による収入で運営している21世紀型の研究開発専門企業と言われている。1984年、材料科学技術振興財団理事。 さらに、半導体エネルギー研究所の子会社であるアドバンスト フィルム ディバイス インクの社長とともに、加藤山崎教育基金の理事長も兼務する。 特許の発明者には同氏も名前を連ね、2000年、2001年の高額納税者番付にランクインしている。 2004年9月28日、特許取得件数世界一としてギネスブックに認定された。その発明件数は3,245件(2004年5月31日時点)だったが