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ブックマーク / ethnos.exblog.jp (1)

  • テュルクとイスラムの邂逅 -カラハン王国- | テュルク&モンゴル

    「人類文化史 第四巻 中国文明と内陸アジア」(講談社 1974) より(筆者:護 雅夫): カルルク王国 …モンゴル高原から西進したウイグル国人には、さらにもう一派があった。「カルルクに奔(はし)る」と伝えられているのがそれである。カルルクは、突厥の建国いらい、史上に姿をあらわすトルコ系の部族で、拠を、アルタイ山脈の西南、東部天山山脈の西北 -ジュンガル盆地からバルハシ湖の東南、イリ川東方- に有し、三氏族から成っていた。東西両突厥の盛時には、「〔カルルクの〕三族は、東西突厥の聞に当り、常にその興衰を視(うかが)いて、附叛常ならざるなり」といわれる。突厥第二帝国の崩壊に、このカルルクがバスミルとともに一役買っていた…しかし、ウイグル遊牧国家がモンゴル高原に.成立すると(744年)、一部のカルルクはこれに服属したが、多くのものはこれから離反し、建国期のウイグルにとっては、その西隣における最

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