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DPZと歴史に関するrakusupuのブックマーク (10)

  • 10万本の印鑑を見に行く

    ちょっと前、仕事でご一緒させてもらった先輩ライターの方から、「すごいはんこ屋さんに行ってきた」という話を聞いた。 曰く、福岡にあるそのはんこ屋さんは、とにかく置いている印鑑の数がすごい。10万。あと、店主のおじさんが面白い。そういう話である。 おじさんが面白いのはさておき、10万の印鑑がお店に並んでいるのは見たい。どういうビジュアルなのか想像がつかない。 よし、見に行ってこよう。 1973年京都生まれ。色物文具愛好家、文具ライター。小学生の頃、勉強も運動も見た目も普通の人間がクラスでちやほやされるにはどうすれば良いかを考え抜いた結果「面白い文具を自慢する」という結論に辿り着き、そのまま今に至る。(動画インタビュー) 前の記事:ペン栽の愉しみ > 個人サイト イロブン Twittertech_k

    rakusupu
    rakusupu 2015/01/28
    "気になる名字の話があると、行っちゃうね"なんという攻めの姿勢w 街場にこんな歴史の生き字引がいらっしゃるなんて、なんて文化高い…
  • 奥多摩の山で昭和のゴミを発掘してきた

    2005年から山に登り始めて7年になる。そんなにガツガツ登ってる訳じゃないが、山に登っていて気になることが一つあった。異様に古いゴミが結構な量落ちているのだ。 今時のステイオンタブではなく、懐かしき昭和の、缶から取れるプルタブのジュース缶や見たことのない缶詰など。今回は、そんな昭和のゴミを集めて観察してみたいと思います。 昭和の話が長々続くので、別のウィンドウで「ジューシィ・フルーツ On Radio Show 1981 [演奏曲完全収録版]を再生して聴きながら読んでみてください。 あばよ涙、よろしく勇気、こんにちは松です。 1976年千葉県鴨川市(内浦)生まれ。システムエンジニアなどやってましたが、2010年にライター兼アプリ作家として自由業化。iPhoneアプリDIY GPS、速攻乗換案内、立体録音部、Here.info、雨かしら?などを開発しました。著書は「チェーン店B級グルメ 

    rakusupu
    rakusupu 2012/09/12
    環境と人、昭和の考古学
  • 焼け野原にならなかった東京めぐり

    東京の町を歩いていて、ここの町並みちょっと雰囲気あるなーと感じることがある。 後で調べると戦災を逃れた町だったことが分かったりする。そう感じるほどに、逆にほとんどの場所が焼けてしまったということだろう。 たまに聞く、焼け野原にならなかった町。それらはどこにあって、今どういう雰囲気なのか?いくつかめぐってみました。

  • 横浜港の廃線たどって古いモノ巡り

    言わずと知れた神奈川県の県庁所在地、横浜。 その都会っぷり&ブランドイメージより、神奈川県の事を横浜県と言う人もいたりいなかったりするそうだが、しかしご存知だろうか、横浜は幕末まではひなびた田舎の漁師町だったという事を。 とはいえ、開国の港として開かれた横浜には、今もなお明治以降の古いモノが数多く残されている。特に横浜港に残る廃線跡沿いには古いモノが多く、町歩きがとても楽しいのだ。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:寒い日が続くので飴を伸ばす > 個人サイト 閑古鳥旅行Twitter

  • この春行きたい!東京の滅亡城跡めぐり

    待ちに待った春が到来! この4月から、大きな希望で胸をいっぱいに膨らませ、あこがれの東京で新生活を始める人も多いことだろう。 そんな皆さんに贈りたい。かつてこの地で覇を競い、繁栄を願いながら志半ばに散って行った多くの人々の夢の跡を。

  • 対馬の要塞遺構めぐり

    対馬はかつて「島全体が要塞」と言われたほど、あちこちに砲台があった。その数30以上。それが離島ゆえにダイナミックに跡地が残っている。 それはまるで「天空の城ラピュタ」を彷彿させるような、“伝説の地に踏み入ってしまった”的錯覚を覚えるものだった。

  • 町の名前が教えてくれる

    道ばたに、その町の名前の由来が書かれた説明板が立ってることがある。 ああいうのってふだん読まない。なにしろ急いでるし、あんまり興味ないから。でも読んでみると、確かにその町の成り立ちが名前からよく分かることがあって面白い。 町の名前が教えてくれるのだ。

  • 旧町名を探す旅、についていく

    東京は、その昔「大江戸八百八町」とよばれたほど、とても沢山の町名があった。 しかし、昭和37年に「住居表示に関する法律」が制定されて以降、様々な町名が住居表示によって消されてしまい、◯◯何丁目。という味気ない住所に変わってしまったところが多い。 だが、町を歩いていると、今でも当時の町名がそのまま残った看板などに出会うことが時々ある。 今回、そんな旧町名の痕跡を探している「旧町名マニア」の旧町名探しについていってみた。

  • 消えた運河の痕跡を探す旅(古地図散歩・大阪大正編)

    先日、目白の古書店で、大正11年と昭和18年の大阪市の地図を見つけた。 値札がついてなかったので、恐る恐る値段を聞いてみたところ、古書店のおばちゃんがかなりアバウトで「他の古い古地図と全部ひっくるめて1000円でいいよ」なんて言ってくれたので、格安で入手できた。 家に持ち帰って眺めていると、これが実に楽しい。

  • 琵琶湖疏水をたどって京都まで :: デイリーポータルZ

    琵琶湖疏水(びわこそすい)をご存知だろうか。それは明治時代に作られた水路であり、その名の通り琵琶湖に端を発し、山科を通って京都の鴨川、そして宇治川へと注ぐ水の道だ。 私は古いものに目が無く、また水路や鉄道、古道などと言った筋をたどるのも好きである。これまでにも、八ツ沢水力発電所の導水路や、碓氷峠鉄道の跡を歩いて記事にしてきた。 そんな私にとって、琵琶湖疏水はまさに西の大御所。いつかたどってみたい憧れの存在だ。しかし私は今回、ついにその憧れへと手を伸ばし、攻略してみる事にした。 (木村 岳人) 琵琶湖疏水とはなんじゃらほい まずは琵琶湖疏水について軽くご説明。 明治時代に入り、日の首都は京都から東京へと移ることになった。それにより京都の人口が減り、町は廃れてしまう。京都は海に面していない為、産業を興そうにも燃料を運ぶのが面倒で、他の都市とは地理的な部分でハンデがあった。 京都府知事の北垣国

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