2005年12月4日のブックマーク (2件)

  • [書評]プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(マックス・ヴェーバー): 極東ブログ

    「プロテスタンティズムの倫理と資主義の精神」(参照)、通称「プロ倫」についてなにかを書こうと思うような日が来ようとは思いもかけなかった。「プロ倫」はただ百遍読めばいいのである。 しかし、馬鹿につける薬はないな、プロ倫を百遍読めとばかりも言えないかもしれないご時世でもある。ま、かく言う私自身がその馬鹿の部類でもあろうから、たまに恥をさらしておくのもいいだろう。 とはいえ、このがなんであるかについてはさすがに省略する。ブログを書く手間はあるが、プロ倫を解説する手間はさすがにない。なので、いくつかティピカルなポイントだけ簡単に記しておく。 カルヴァン的なプロテスタンティズムの「神の選びの教義」とは何か これを、「神が現世における人間の努力やその成果によって人間を選別し、勝利者を救済し、弱者を地獄に落とす」と理解している人は、およそ社会学なり現代社会・政治を論じるに足りない。昔なら、岩波文庫で

    rangelife422
    rangelife422 2005/12/04
    今更だけど再確認
  • 努力と差別 - デス日本研究者の不倶戴天blog

    人契機やる気の有無による差別なんで「非モテ」論争は面白いか私が以下の記事を投稿するきっかけになったのは以上の記事だが、他人の文脈で相撲をとる気は毛頭無いので比較検討差分の管理は読者に任せ、私は私であることにする。blogの読者は頭を使え、blogの作者は眼を使え。共に揃ってbloggerである。このライト差別がぬるい有史以来かどうかは知らないが、今や差別は娯楽になったと私は思う。「もっと気軽に」を求め続けて、差別は益々娯楽になった。今楽しめる差別の両横綱は、「「やる気の無い者」に対する差別」と「「人付き合いが下手な者」に対する差別」である。この二つの差別が盛り上がるであろう事は十年前から予測されていたが、その次に何が来るのかは十年間語られなかった。様々な差別が卒業していき最後にこの二つが残った、と言っても過言には及ばぬ究極の差別である。「やる気」が「人付き合い」の一環でもあるような環境