「話す写真: 見えないものに向かって」のあとがきより、 「この歳になって、やっと写真が分からなくなりました。」大辻清司先生が、大学の教室で僕らにそう言ったのを覚えている。「やっと分かるようになりました」ではない。「分からなくなりました」なのだ。聞いている僕らは心細くなって、言葉を返せなかった。 写真の実践を通して、あれだけでの思索をしてきた大辻先生が「分からなくなった」と真顔で言うことと、その辺の誰かが「俺って頭が悪いから」などと開き直って言うことは、同じことのように見えてまったく違う。前者は忘れない出来事となる。その差を嗅ぎ分けられるくらいの能力は、誰でも生まれつき持っている。 ところで、写真が分かることは、どういうことだろうか。写真に対して「分かる」とか「分からない」とかいう言葉を用いることは可能だろうか。写真は現実の影なのだから、それに対して「分かる」とか「分からない」とか言うことは