板倉滉(こう)は日本サッカー界のメインストリームを歩んできた訳ではなかった。 「三好康児の陰の存在」 川崎フロンターレの下部組織では、常に脚光を浴びてきた三好の陰に隠れる存在だった。 共にトップ昇格を果たした後も、トップチームでルーキーながらJ1デビューを果たした三好に対し、板倉はカップ戦も含めてその年は1試合も出場できなかった。昨年になって待望のJ1デビューを飾ったが、リーグ戦の2試合出場に留まり、一方の三好はというとコンスタントに出番を掴み、J1でのプロ初ゴールを含む4得点を挙げ、より注目度を高めた。 U-19、U-20日本代表においても、CBとして起用される板倉は、「中山雄太(柏)と冨安健洋(福岡)、その次の存在」という位置づけであった。 内山篤監督は中山と冨安に絶大な信頼を置き、チーム立ち上げから不動のコンビとして起用し続け、板倉はいつも2人の代役として起用されることが多かった。し