柿本人麻呂公像(高津柿本神社)島根県益田市高津町 AC まとめ 柿本人麻呂。各皇族や宮の動静を深く知る立場にありながら、宮使いの舎人としてレッドラインを超えないわきまえと文学素養があり、ゆえに万葉集の編集者として適任でした。そんな歌聖の危ない橋について妄想考察 目次 柿本人麻呂公が生き、万葉集が生まれた時代 万葉集。大津皇子の事件、草壁皇子の殯(もがり)のあたり 池と水鳥。応答する二つの万葉歌 本文 柿本人麻呂公が生き、万葉集が生まれた時代 歌聖・柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)は、出自も含めて謎めいた人物です。 最多の100首に迫る万葉歌を残し、おそらく、初期の万葉集の編纂にかかわっていたことは想像に難くありません。 当時の天皇(事実上、皇太后のサララ姫)をはじめ、各皇族や宮の動静を深く知る立場にあり、しかし一方で、宮使いの舎人(とねり、官人)として「レッドライン」を超えないわきまえと文
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