filmとcritiqueに関するratheartのブックマーク (2)

  • 『ダークナイト』でのジョーカーの輝きはヒース・レジャーの熱演が理由ではない - MIYADAI.com Blog

    MIYADAI.com Blog (Archive) > 『ダークナイト』でのジョーカーの輝きはヒース・レジャーの熱演が理由ではない « 書籍発売日の変更 | マル激トーク・オン・ディマンド更新しました。 » ──────────────────────────────────── 『ダークナイト』でのジョーカーの輝きはヒース・レジャーの熱演が理由ではない 〜ヘブライズム(神義論)とヘレニズム(逆神義論)の反復する対立と西洋的なもの ──────────────────────────────────── ■クリストファー・ノーラン監督『ダークナイト(闇の騎士)』(08)のエンドロールに、映画でジョーカー役を演じた後にオーバードーズで急逝したヒース・レジャーと、同じく急逝した特殊効果技師のコンウェイ・ウィックリフに捧げられていることが記されている。 ■巷での評判通り、この映画で最も強い印象

  • 臨時掲載 - The Bad News Erewhon

    「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」 http://3maisou.com/ トミー・リー・ジョーンズの監督・主演作。ヴィム・ヴェンダースの「ランド・オブ・プレンティ」と共通のモチーフ・主題を、しかし別の手触りで、誠実に、今日のアメリカ映画として作り上げるトミー・リー・ジョーンズの監督としての姿勢に、かなり打たれました。泣きました。なんというか、単純な(西部劇の古き良き)夢と(現代の)現実のギャップの映画などではないのです。夢と現実の現実的な連結は実は過酷でも可能であること、かつ必要でもあること、と同時に不可能でもあること…そんな矛盾したやっかいな世界へのストレートなまなざしに泣けるのです。こういうとわかりやすいのかな。心には理想や美しさは必要で、その意味では夢は現実に必要なものであり、かつ人々は、それを何らかの形で現実に有してもいる、でも、それは突き詰めていくと、現実には「ない」。

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