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2024年4月22日のブックマーク (1件)

  • 有栖川宮 - Wikipedia

    有栖川宮(ありすがわのみや)は、江戸時代初期から大正時代にかけて存在した宮家。伏見宮・桂宮・閑院宮とならぶ世襲親王家の一つ。第2代良仁親王は皇位を継ぎ、後西天皇となった[1]。 概要[編集] 有栖川宮は歴代、書道・歌道の師範を勤めて皇室の信任篤く、徳川宗家や水戸徳川家をはじめ、彦根井伊家や長州毛利家・広島浅野家・久留米有馬家などとも婚姻関係を結び、公武ともに密接であった。また代々、次男以下の子弟を門跡寺院に法親王・入道親王として入寺させていた。 寛永2年(1625年)、後陽成天皇の第七皇子の好仁親王が高松宮として創設[2][3]。当初の宮号の高松宮(高松殿)は、好仁親王の祖母の新上東門院の御所高松殿に由来する[4]。 好仁親王は徳川秀忠の養女の亀姫(実父は秀忠の甥で娘婿にも当たる越前藩主松平忠直)を妃としたが、嗣子がなかったため甥にあたる後水尾天皇の皇子の良仁親王が養嗣子として正保4年(1

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