『エンデの遺言 根源からお金を問うこと』 河邑厚法徳+グループ現代 という新書を読んだ。 「お金」。 社会に必要とされる限り、つき合わされるモノ。 「モノ」だけど、神さまのようだ。 多く持つほど、「金持ち」になるほど幸せになる 気がする。 (そうだとしても 私も金持ちになりたい。でも「大金持ち」でなくていい)。 お金の持つ「物神性」にダマされないためには、 お金の本質を考え、根源的にとらえるほかない。 そうしないと人間らしい豊かな生き方はできない、 とエンデは、深く考えていたと知りおどろいた。 エンデは、子どもに「お金、流通のような抽象的なむずかしいことがわかる わけがない」と大人の言いそうなことに反し、理屈はまだわからなくても、 彼らが『モモ』の世界、おもしろさを感じることを通し、自分の思いは直感的に 伝わると信じていたのではなかろうか。 それにこんなことも思った。 ずっと前の記事に、