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2019年5月7日のブックマーク (2件)

  • 【超会議2019】超歌舞伎『今昔饗宴千本桜』の桜、吉野の桜 【特別寄稿:福岡俊弘】

    桜が舞っていた。 2012年4月、僕たちは吉野山に登り、険しい斜面だらけの中に奇跡的に広がった平らな地面の上に寝そべって、ぼんやりと桜を眺めていた。谷間を埋め尽くすあまたの山桜。真っ白なインクを山一面にぶちまけたような、それでいてどこか淡い紅を被せたようなその景色に吸い込まれそうになりながら、思い思いに眼下に広がる壮大な桜色の絨毯を見ていた。吉野千桜。時折強い風が吹く度に、花曇りの空から桜の花びらが舞い降りた。 「小説にできそうな気がする」 「物語はあるしね」 「挿絵、どんなのがいいかな」 『小説・千桜』のプロジェクトはそうして始まった。7年前のことだ。 小説桜シリーズ(発売:KADOKAWA 発行:角川アスキー総合研究所) 今年の超歌舞伎『今昔饗宴千桜』は当に素晴らしかった。3年前の再演だろうと思って千穐楽の舞台に臨んだら、まったく違っていた。というか、歌舞伎そのものだった。

    【超会議2019】超歌舞伎『今昔饗宴千本桜』の桜、吉野の桜 【特別寄稿:福岡俊弘】
  • 嫌いって言うとお気持ちって言われるじゃんって本気で言ってるの? - novtanの日常

    先のエントリに結構この手のコメントついてんだけどさ、これ気で言っているんだとしたら3年ROMったほうが良いんじゃないかって思うんだよなあ。 お気持ちって、嫌いっていうことに対して言われているんじゃなくて、「私の嫌いって思いを社会的に尊重すべき(なのでその表現は滅殺しろ)」という主張に対して皮肉的に使われている言葉だよね。僕自身は強くこの文脈に乗っている場でしか使わない(そもそもほぼ使わない)つもりでいるけどさ、単に嫌いって言ったらお気持ちって言われてるんだとしたらそりゃ言っている方が聞きかじった言葉を適当に使っているだけだし、言われたって言って先のエントリみたいなのにそういう反論をしてくる方も聞きかじった言葉で適当に使っているだけだよね。 こういうのがまた新しい対立や断絶を生むわけじゃない。ある種の概念を一言に凝縮して常にそれで応答を済ますってのはコミュニケーションとしては手抜きだしさ、

    嫌いって言うとお気持ちって言われるじゃんって本気で言ってるの? - novtanの日常
    regicat
    regicat 2019/05/07
    「お気持ち」が「私の嫌いって思いを社会的に尊重すべき」なら、「嫌いは社会的アプローチできるのに好きは好きっていうしかない」は「私の好きって思いを社会的に尊重すべき」にならない?