音楽人としてのKERA実は『劇団健康』で公演を打ちながらも、20代のKERAは活動の軸を音楽に置いていた(どれだけ多彩で多才、多動なんだろうか……)。彼が世に知られるようになったのは1980年代前半。テクノポップやパンク、ニューウェイヴ影響を受けたバンド「有頂天(うちょうてん)」のボーカリストとして、当時勃興し始めていたインディーズブームの先駆けとなった。 (有頂天『猫が歌う希望の歌』MV) KERA : 高校生の頃にテクノやパンク、ニューウェイヴという音楽の潮流に出会ってね。それは言うなれば「マッチョじゃないロック」だった。僕にとっては、クラスのスターじゃなくてもやっていい音楽に思えたんだよね。僕は徹底的に入り込む少年だったから、毎日学校帰りに下北沢のレコード屋『五番街』と明大前の『モダンミュージック』に通ったの。お店の人がいろいろなレコードを試聴させてくれたり、個人的にライブを録音した
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く