サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは本日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。
渡来人の中で有力なのが、百済王昌成(くだらのこきししょうせい・くだらのこにきししょうせい)である。 昌成の父は百済王善光(ぜんこう。禅広)といい、その名の通り百済からの渡来人であった。 それも彼は、以前紹介した百済河成(かわなり)のように、ただの百済人ではなかった(「日韓味」参照)。 百済の下に「王」が付いているわけである。 どういうことなのか? つまり彼は、百済王家のプリンスだったのだ。 善光の父・義慈王(ぎじおう。末王)は百済の国王であった。 斉明天皇六年(660)、百済は唐・新羅連合軍に攻められて滅亡、義慈王は捕らえられ、まもなく死んだ。 義慈王には、三人の男子がいた。 長男・隆(りゅう)は父と共に捕らえられ、唐に連行された。 次男・豊璋(ほうしょう)は後に百済の遺臣によって国王に擁立されたが、白村江の戦で完敗、高句麗へ逃亡した(「日朝味」参照)。 「だめだこりゃ」 日本は大陸をあき
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く