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国際連盟脱退によって、ワルは孤立した。 「こうなったのも、みんな蒋介石のせいだ」 日本は中国に逆恨みした。 盧溝橋事件を起こし、日中戦争をおっ始め、南京大虐殺をしでかしてやった。これ以上ない集団的ヤケクソであった。 世界はますます日本を見放した。 でも、捨てる神あれば、拾う神もいた。 仲間がいたのである。 仲間はドイツといった。 ドイツは第一次世界大戦で敗れたもののぶり返し、いつの間にか大国になっていた。 そのドイツもまた、日本の後を追うように、同じ年に国際連盟を脱退していた。 ボスはヒトラーといった。 国家社会主義ドイツ労働者党、いわゆるナチスの党首であった。 とっても弁舌鮮やかな、頼もしそうなワルであった。 昭和十一年(1936)十一月、日本はドイツと日独防共協定を結んだ。 「共に共産主義拡大を阻止しよう」 つまり仮想敵国は、スターリン率いるソ連であった。 ドイツには、ダチがいた。 フ
渡来人の中で有力なのが、百済王昌成(くだらのこきししょうせい・くだらのこにきししょうせい)である。 昌成の父は百済王善光(ぜんこう。禅広)といい、その名の通り百済からの渡来人であった。 それも彼は、以前紹介した百済河成(かわなり)のように、ただの百済人ではなかった(「日韓味」参照)。 百済の下に「王」が付いているわけである。 どういうことなのか? つまり彼は、百済王家のプリンスだったのだ。 善光の父・義慈王(ぎじおう。末王)は百済の国王であった。 斉明天皇六年(660)、百済は唐・新羅連合軍に攻められて滅亡、義慈王は捕らえられ、まもなく死んだ。 義慈王には、三人の男子がいた。 長男・隆(りゅう)は父と共に捕らえられ、唐に連行された。 次男・豊璋(ほうしょう)は後に百済の遺臣によって国王に擁立されたが、白村江の戦で完敗、高句麗へ逃亡した(「日朝味」参照)。 「だめだこりゃ」 日本は大陸をあき
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