黒船来航にあわてふためく江戸幕府の様子を風刺した狂歌「太平の眠りを覚ます上喜撰(じょうきせん。茶の銘柄) たった四はいで夜も寝られず」が、ペリー来航した直後に詠まれていたことを示す書簡「色川三中来翰集(らいかんしゅう)」が静嘉堂文庫で発見された。 この狂歌は明治十一年(1878)初見のため後世の作との説も出ていたという。[読売新聞] ペリー来航 (日本歴史叢書)/三谷 博 ¥2,940 Amazon.co.jp
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日本国憲法起草のもとになった連合国軍総司令部(GHQ)草案の受け入れをめぐり、1946年2月22日に首相・幣原喜重郎と面談した際の昭和天皇の発言を示すメモが、憲法学者・宮沢俊義のノートに記されていたことがわかった。 「陛下は『これでいいじゃないか』と仰せられた」などと書かれており、「安心して、これで行くことに腹をきめた」という幣原氏の心情も記載されているという。[朝日新聞]
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