第2次世界大戦末期の1945年に津山市内の「宕々庵(とうとうあん)」に54日間疎開していた谷崎潤一郎の様子を記した備忘録が発見された。
大正~昭和時代の建築技師・江川三郎八が、大正時代に美作国の一宮・中山神社拝殿など3棟の建て替えや改修を手掛けていたことがわかった。 江川は旧遷喬尋常小(岡山県真庭市。国重文)など公共建築に西洋の様式を取り入れたことで知られるが、現存する神社の設計に携わったのが判明したのは2例目だという。[山陽新聞]
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く