昭和十四年(1939)三月十九日に日中戦争の傷病兵が競った国内初とみられる障害者スポーツ大会のパンフレットが、秩父宮記念スポーツ博物館・図書館で発見された。 当時の日本軍がいち早く運動をリハビリに取り入れていたことを示し、大日本体育協会主催で陸軍戸山学校運動場(新宿区)で開かれ、手や足を切断した傷病兵ら約240人が出場したという。[中日新聞]
「夕焼小焼」などの童謡で知られる作曲家・草川信(しん)の長男で、太平洋戦争で学徒出陣してフィリピンで戦死した宏が作った楽曲の譜面が発見された。
商業施設工事区域内にあるため既に埋め戻したが、完成後の施設に遺構を紹介するスペースを設けることを検討しているという。[東京新聞]
☆★☆★☆☆☆歴史タイムッス★☆☆★☆☆★古今東西歴史関連記事リンク集日本史娯楽検証物語サイト「歴史チップス」執筆のネタ探しとして日本や世界のメディアや個人・企業サイトから歴史関連記事リンク集を作成(リンク切れ御免)。また、「古今チップス(旧歴史タイムズ・現歴史タイムス)」の2005年11月~2014年12月のバックナンバーも掲載。 「三蹟(さんせき)」に列する平安時代の書家・小野道風(おののとうふう)の作品とされていた国宝「円珍贈法印大和尚位並智証大師諡号勅書(円珍勅書。東京国立博物館蔵)」が直筆ではなく、後世の写しだったことがわかった。 理由として①平安期の公文書にしては行書体であり過ぎる②勅書後半の署名の上に記された官位の文字が極めて小さい③円珍勅書の前年(延長4年)に出された別の文書の「天皇御璽」の内印と比べて「天」や「御」の字形が異なり、押印が雑である④和紙の行間に折り目を付けて
江戸時代の儒学者・広瀬淡窓の末弟で、私塾「咸宜園(かんぎえん)」の2代目塾主となった旭荘(きょくそう)に関する資料数百点が都内にある彼の子孫宅で発見された。
当時の東久邇宮稔彦(ひがしくにのみやなるひこ)首相らが検討を重ねた結果、第1案にはなかった「平和国家ヲ確立」という新たな目標が掲げられることになったという。[朝日新聞]
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