昭和~平成時代の漫画家・水木しげるが、1967年頃に書いたとみられる未発表の随筆原稿が遺宅で発見された。 悲惨な経験を漫画で伝えたいという水木さんの思いに反し、読者や版元から「勝ち戦」の話を求められる葛藤が記されているという。[朝日新聞]
鎌倉時代の仏師・運慶の作品ではないかと話題になっていた「木造十二神将立像(国重文)」のうち1体から安貞二年(1228)とみられる墨書きの文字が発見された。
「夕焼小焼」などの童謡で知られる作曲家・草川信(しん)の長男で、太平洋戦争で学徒出陣してフィリピンで戦死した宏が作った楽曲の譜面が発見された。
世界遺産の石見銀山が第1次シルバーラッシュに沸いた戦国時代の鋳造で、石州銀が県内で出土していたことが初めて確認されたという。[山陰中央新報]
代々木の地名の由来になったと伝えられ、戦中に焼失するまで明治神宮境内にあったモミの大木の鮮明な写真が北海道で発見された。 神宮創建1か月後の大正九年(1920)十一月に写真家を目指して上京した渡部亀太郎が写したものだという。[東京新聞]
法隆寺(奈良県斑鳩町)が明治時代に皇室に献納した「法隆寺献納宝物(ほうもつ)」の一つで、東京国立博物館で保管されてきた絹織 物に描かれた白虎(びゃっこ)図が、飛鳥時代後半に制作された可能性の高いことがわかった。 絹に描かれた絵画作品としては国内最古とみられるという。[朝日新聞]
『瞼(まぶた)の母』などで知られる昭和時代の作家・長谷川伸が、さまざまな敵討ちの逸話を集めて書いた草稿約390編が旧宅で発見された。
幕末の京都で新選組の前身となった浪士組235分の出身地や年齢、家族構成が記された詳細な名簿「浪士姓名簿」が東京大法学部で発見された。
日本国憲法起草のもとになった連合国軍総司令部(GHQ)草案の受け入れをめぐり、1946年2月22日に首相・幣原喜重郎と面談した際の昭和天皇の発言を示すメモが、憲法学者・宮沢俊義のノートに記されていたことがわかった。 「陛下は『これでいいじゃないか』と仰せられた」などと書かれており、「安心して、これで行くことに腹をきめた」という幣原氏の心情も記載されているという。[朝日新聞]
商業施設工事区域内にあるため既に埋め戻したが、完成後の施設に遺構を紹介するスペースを設けることを検討しているという。[東京新聞]
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