長尾市は野見宿祢も呼びつけた。 「何でしょうか?」 野見宿祢はやって来た。 その間に長尾市は兵を遣わして彼の妻子を捕らえた。 「キャー!なにすんのー!」 「やめてー!」 「いたい~!」 妻子は縛り上げられ、野見宿祢の前に突き出された。 野見宿祢は怒った。 「これはどういうことだ!」 長尾市は説明した。 「お前には当麻蹶速と相撲をとってわざと勝ち、これを殺してもらわなければならない。妻子はそれまでの人質だ。もし、ヤツを殺せなければ、妻子の命はない」 兵たちが妻子に刃物を突きつけて脅した。 妻子は騒いだ。 「父ちゃん!こわいよー!」 「助けてよー!」 「あなた!これはどういうこと!?」 野見宿祢は長尾市に聞いた。 「当麻蹶速の豪傑ぶりは出雲まで聞こえている。いつか対決したかった相手だ。だが、わざと勝てとはどういうことだ?しかも殺せとは?」 「当麻蹶速は地祗だ。我々がひどい目にあわせてきた、地祗
昔々おおむかし、天神族と地祗(ちぎ)族の戦いがあった。 天神族とは弥生人、大陸からの侵略者であり、地祗族とは縄文人、古くから倭に住んでいた原住民のことである(「2006年9月号 北方味」参照)。 やがて天神族は勝利し、地祗族を制圧してこの国を治めた。 当麻蹶速(たいまのけはや・たぎまのけはや・たいまのくえはや。当摩蹴速)は大倭当麻(たいま。當麻。奈良県葛城市)の住人、地祗族と思われ、その中でも有力者だったと思われる。 狩猟民族である地祗族は、狩りの腕がすべてであった。狩猟に長けていれば、それなりの生活や地位が保障されていた。 が、天神族の侵攻によって状況は一変した。 原因は、天神族に「シマ」を盗られたことと、「狩猟」から「農耕」への転換であった。 そうである。天神族は農耕民族だったのである。 天神族は触れを出した。 「狩猟は野蛮だ。収入も安定しない。それに比べて農耕はがっちりだ。これからは
嗚呼(ああ)。 ドルゴルスレン・ダグワドルジはどうしてしまったのであろうか? ほかならぬ第六十八代横綱・朝青竜明徳(あさしょうりゅうあきのり。番付表記は「朝青龍」)のことである。 相撲は日本の国技である。 が、それは名ばかりで、相撲がスポーツ紙の一面を飾ることはめったにない。 唯一登場するのが「場外場所」ではあるまいか?「本業」でなく、場外で「不祥事」でも起こらなければ、採り上げてもらえないのである。 嗚呼。 なんて悲しいスポーツであろうか? スポーツ? そうであった。 他のスポーツには失礼であるが、相撲というものは元来、そんな甘ったるいものではなかった。 他の武道と同様、生死を賭(か)けた真剣勝負だったはずである。 朝青竜は原点に戻るべきであろう。 今回は相撲というものがどのようにして誕生したか、その原点を振り返ってみたいと思う。 [2007年8月末日執筆] 参考文献はコチラ 「当麻蹶速
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