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応永三十五年(1428)一月、大御所・足利義持(「足利氏系図」参照)は死の床についた。 足から黴菌(ばいきん)が入り、悪化して重態に陥ったという。 時に将軍は空位であった。 応永三十二年(1425)二月に五代将軍・足利義量(よしかず。義持の子)がわずか十九歳でアル中で夭折(ようせつ)して以降、前将軍・義持が事実上の将軍として政務を執ってきたのである(「将軍一覧」参照)。 「余に跡継ぎはいない」 義持にとって、義量が唯一の嗣子であった。 弟はいた。 父・三代将軍足利義満が溺愛(できあい)し、臣下初の即位を目指した「天皇崩れ」のお坊ちゃま・義嗣(よしつぐ)という弟がいたが、謀反に加担して命を奪われていた。 このほかにも何人かの弟がいたが、いずれも出家している。 「義嗣がいれば……」 義持は後悔した。 「こんな世の中だ。一度や二度反抗したぐらいで殺していては、おぞましい数の者どもを葬り去らなけれ
毎年十二月になると「年末ジャンボ宝くじ」の話題が出る。 「今年は当たるかなっ」 なーんて何枚か購入してワクワクしているうちに年末になり、 「やっぱり買わなきゃよかった」 てな繰り返しになるのである。 何億何千万といった大金は、一般人にとっては夢のまた夢のお話である。 ところが世の中には、何億何千万といった仕事をズルして自分のところに回してもらおうとする不埒(ふらち)なヤカラがいるのである。 お分かりであろう。 いわゆる「談合」をたしなむ人々である。 最近、地方自治体の談合発覚が相次いでいる。 福島県と和歌山県と宮崎県では、それぞれ佐藤栄佐久(さとうえいさく)知事と木村良樹(きむらよしき)知事と安藤忠恕(あんどうただひろ)知事が談合に関与して逮捕され、福井県・名古屋市・奈良市・北海道深川市などでも続々とボロが出てきている。 中でも奈良市では、テレビの前で公然と談合が行われていた。 「はよクジ
その年はまったく雨が降らず、葛野川(かどのがわ。桂川)が干上がってしまいました。 川の水がなくては、田んぼに水を張ることはできません。 伊侶具は困りました。 「これではせっかく植えた苗が枯れてしまうではないか」 知恵を貸す者がいました。 「賀茂川(かもがわ。鴨川)から水を引いてもらってはいかがですか? あちらは水が満ち満ちているそうです」 が、賀茂川を管理しているのはライバル豪族の賀茂氏でした。そんなことを頼めば、何か代償を求めてくるに違いありませんでした。 「うーん」 伊侶具は悩みましたが、背に腹はかえられません。 「わかった。頼んでみるか」 伊侶具は賀茂氏の当主に使いを送りました。 案の定、賀茂氏の当主は代償を求めてきました。 「わかりました。貴殿の三人の娘さんのうち一人を私の嫁にいただければ水を分けてあげてもいいですよ」 伊侶具は喜びました。 「なんだ、莫大な使用量か土地を請求してく
★強欲非情! 傲慢至極! 沈む夕日も上げてやる!? ~ 金持ち一夜で大没落! 伏見稲荷大社創始伝説!! 餅(もち)は「晴れの日(めでたい日)」の食べ物である。 正月三が日はもちろん、鏡開き(一月十一日頃)のお汁粉、大寒(一月二十日頃)の寒餅、節分(二月三日頃)の大福、ひな祭り(三月三日)の菱(ひし)餅・桜餅・草餅、彼岸(春分・秋分の日頃)のおはぎ(牡丹餅)、端午(五月五日)の粽(ちまき)・柏(かしわ)餅、七夕(七月七日)の七夕餅(※タナボタ餅ではない)、土用(七月下旬頃)の土用餅、十月亥日の亥の子(いのこ)餅などなど、日本人はことあるごとに餅を食べる。 餅がいつ頃から食べられ始めたかは定かではない。 稲作伝来以後に米の餅は伝えられたが、それ以前にも粟(あわ)餅や黍(きび)餅などがあった。 「モチ」という音の語源は「モチイイ(粘ること)」だという。 また、「持ち」歩きできるからとか、「望月(
先月、私は「時事チップス」にこんな駄作を載せた。 「笑い」とはすべてをごまかす魔法なり 芸人は、時として難攻不落の堅城ですら、あっさりと落としてしまうものである。 一度や二度のことではない。 歴史上、それは何度も繰り返されてきた。 つい最近(平成十九年一~二月)も「痴事(ちじ。そのまんま東)」が「知事(東国原英夫)」になり、「猫(猫ひろし)」や「杓子(しゃくし。陣内智則)」が「美女(一般女性)」や「女優(藤原紀香)」を陥落させたばかりではないか(継続できるかどうかはまた別問題である)。 芸人は歴史を動かすものである。 日本史上、最も有名な政変の一つ・乙巳の変もまた、芸人がかんでいた。 「お腰のものをお渡しくださいませませっ」 時の最高執政者蘇我入鹿を吹き出させ、その警戒心を解き、その帯剣を取り上げたのは、名もなき芸人であった。 そう。その名もなき芸人さえ存在しなければ、世紀の暗殺劇は起こら
「袴垂」の名前がどこから来たのかよくわかりません。 おそらく、袴が垂れてたんでしょうな。 袴が垂れてるということは、すなわちそれそれ「変態」だったのかもしれません。あっしは記憶にございません。泥棒ですので、なんでもありだったんでしょうな。 『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』にあっしの特徴が載っています。 盗人の大将軍! 豪胆! 力持ち! 足が速い! 思慮深い! スゴ腕! なーんて、もうべたほめです。どうして天下の大泥棒をこんなにもほめるんでしょうか?そもそもどうしてこんなすごい人間が、泥棒なんかをやっているんでしょうか? わかりません。あっしには、まったくもってわかりません。いったん道に迷ったものという者は、なかなか戻ってこれないもんなんでしょうな。 泥棒をしているとき、当然のようにあっしはワルでした。 あっしは自分に言い聞かせるんです。 「あっしはワルだ!」 そうすると、本当にワルのように
余は倒れた。 痛さというより苦しさが余を襲った。 「総理! どうなさいました!」 元田肇(もとだはじめ)鉄道相であろうか? 余は答えることもできなかった。 すぐに意識を失ってしまったからである。 余は青年の顔を知っていた。 二、三度、この東京駅(東京都千代田区)で見かけたことがあった。 声をかけたこともあった。 「君はここに勤めているのかい?」 青年は否定した。 「いいえ。ここではなく、大塚駅(山手線。東京都豊島区)で転轍手(てんてつしゅ)をしています」 線路の進路を切り替える、あの役目である。 「そうか。若いが、二十歳前か?」 「十九歳です」 「十九歳か」 余は思わず微笑んだ。 六十六歳の余は、その若さをうらやましく思い、また、その青年が余が全国に敷き広げた鉄道の仕事に携わっていることがうれしかった。 その青年が余を刺したのである。 (なぜだ!) 余は叫びたかった。 (余は刺されるような
平成十九年(2007)三月十七日夜、JR長崎駅(長崎県長崎市)前で伊藤一長(いとういっちょう)長崎市長が射殺された。 四期目を目指す市長選のさなか、遊説を終え、選挙事務所へ帰る途中のことであった。 実行犯は指定暴力団山口組系水心会会長代行・城尾哲弥(しろおてつや)。 闇(やみ)にまぎれて背後から近づき、事務所関係者に取り押さえられながらも市長に二発の銃弾を浴びせたのである。 「事故の処理に対する市の対応に恨みがあった」 犯人はそう語ったが、たとえどんな理由があれ、暴力というものが許されることはない。 また、共犯二人も逮捕されたが、背後関係などは不明である。 暗殺は「必要悪」ではない。 時代に関係なく「絶対悪」である。 つまり私は、中大兄皇子や明智光秀、大石良雄(おおいしよしお。内蔵助)らの所業も悪だと考えている(「2002年12月号 仇討味」参照)。 たとえ標的がどんな悪人であろうと、これ
挙兵を決意した淀殿・豊臣秀頼母子は、豊臣恩顧の諸大名へ書状を送りまくった。 が、諸大名の返事はみなつれなかった。 「太閤様への御恩は、先年の関ヶ原で返しておりまする。今度は大御所様への御恩を返す番でございまする(島津家久)」 「どうか御謀反はおやめください。江戸には拙者のかわいい妻子がおりまする。戦となれば徳川の先鋒となって参陣いたす所存でございまする。長久か滅亡か、いずれかをお選びください(福島正則)」 「は?なんかおっしゃいました?私は無二の関東の一味ですよっ(蜂須賀家政)」 「ムカーッ!」 諸大名の返信を読んだ淀殿は激怒した。 「えーい!どいつもこいつも薄情なヤツらばかりだわっ!」 大野治長は冷笑した。 「諸大名の援助など、最初から当てにしていませんよ」 先述したように治長は大蔵卿局の子で、関ヶ原の戦後に大坂城の内政を担当、片桐且元逃亡後は豊臣家の家令的地位に成り上がった武将である。
慶長十九年(1614)四月、前天下人の継嗣・豊臣秀頼は方広寺(ほうこうじ。京都市東山区)を再建した。 すべては豊臣家滅亡を目指す現天下人たる大御所・徳川家康のたくらみであった。 「方広寺を再建してあげなさい。大仏も造ってはどうですかな?亡き尊父(秀吉)も喜ばれましょう」 方広寺は天正十四年(1586)に豊臣秀吉が大老・小早川隆景に命じて造らせた大寺である。 伽藍(がらん)は豪華で高さ六丈(約十八メートル)の大仏も鎮座していたが、慶長元年(1596)の大地震で全壊していた。 秀頼は素直であった。 「そうですね。再建すれば亡き父も喜ぶでしょうね」 いや。本当に喜ぶのは、ほかならぬ家康であった。 家康はここぞとばかりに勧めた。 「長い戦乱で全国各地の有名な社寺が荒廃しました。もはや天下は平和になりました。もともと貴殿の尊父は無一文から全国を平定し、天下一の大富豪にまで昇り詰めました。このことはひ
一方、相模等の戦国大名・北条氏政(ほうじょううじまさ)のところにも異なった二つの知らせが伝わってきました。 「信玄が死んだそうです!」 「いえ、病気で甲斐に引き返しただけだそうです!」 氏政は困りました。 「えーい!どっちなんじゃ!?」 氏政にとって、長兄は最強の同盟国当主です。 生きているのと死んでいるのとでは、正反対の判断を下さなければならないわけです。 「甲斐に風魔(ふうま。忍者)を遣わすか?」 彼の弟・北条氏照(うじてる)は言いました。 「いえいえ。われわれは同盟国なので、正々堂々とお見舞いに行き、じっくりしっかり生没を確認したほうがよろしいかと――」 こうして北条の使者が甲斐に遣わされました。 「信玄公のお見舞いに参りました」 使者は北条家中のきっての知恵者・板部岡江雪(いたべおかこうせつ。江雪斎)――。 内政及び外交に通じ、後にはその才覚ゆえに豊臣秀吉や徳川家康の話し相手も務め
あるとき、大中姫が邸内の畑で遊んでいると、垣根越しに変なおじさんが馬上から声をかけてきた。 「お嬢ちゃん、何してるの?」 おじさんは闘鶏(つげ。奈良県奈良市)国造。現在でいうなら市長さん。 「はたけしごとしてるのー」 大中姫が答えると、闘鶏国造は笑った。 「お嬢ちゃんにできるかなー?」 「できるよ!」 「じゃあ、そこのノビルを一本採ってちょうだい」 「いいよ」 大中姫は闘鶏国造にノビルを採って渡してあげた。 「はい、どうぞ。おいしいよっ」 すると闘鶏国造が言った。 「こんなもん、食べやしないさー。山へ行くと虫が寄ってくるから、これを振って追い払うんだよー」 大中姫はムカついた。 「覚えてらっしゃい。あんた、いつか、ぶっ飛ばす!」 「おーおー、こわいこわいー」 闘鶏国造はゲラゲラ笑って帰っていった。
長尾市は野見宿祢も呼びつけた。 「何でしょうか?」 野見宿祢はやって来た。 その間に長尾市は兵を遣わして彼の妻子を捕らえた。 「キャー!なにすんのー!」 「やめてー!」 「いたい~!」 妻子は縛り上げられ、野見宿祢の前に突き出された。 野見宿祢は怒った。 「これはどういうことだ!」 長尾市は説明した。 「お前には当麻蹶速と相撲をとってわざと勝ち、これを殺してもらわなければならない。妻子はそれまでの人質だ。もし、ヤツを殺せなければ、妻子の命はない」 兵たちが妻子に刃物を突きつけて脅した。 妻子は騒いだ。 「父ちゃん!こわいよー!」 「助けてよー!」 「あなた!これはどういうこと!?」 野見宿祢は長尾市に聞いた。 「当麻蹶速の豪傑ぶりは出雲まで聞こえている。いつか対決したかった相手だ。だが、わざと勝てとはどういうことだ?しかも殺せとは?」 「当麻蹶速は地祗だ。我々がひどい目にあわせてきた、地祗
昔々おおむかし、天神族と地祗(ちぎ)族の戦いがあった。 天神族とは弥生人、大陸からの侵略者であり、地祗族とは縄文人、古くから倭に住んでいた原住民のことである(「2006年9月号 北方味」参照)。 やがて天神族は勝利し、地祗族を制圧してこの国を治めた。 当麻蹶速(たいまのけはや・たぎまのけはや・たいまのくえはや。当摩蹴速)は大倭当麻(たいま。當麻。奈良県葛城市)の住人、地祗族と思われ、その中でも有力者だったと思われる。 狩猟民族である地祗族は、狩りの腕がすべてであった。狩猟に長けていれば、それなりの生活や地位が保障されていた。 が、天神族の侵攻によって状況は一変した。 原因は、天神族に「シマ」を盗られたことと、「狩猟」から「農耕」への転換であった。 そうである。天神族は農耕民族だったのである。 天神族は触れを出した。 「狩猟は野蛮だ。収入も安定しない。それに比べて農耕はがっちりだ。これからは
嗚呼(ああ)。 ドルゴルスレン・ダグワドルジはどうしてしまったのであろうか? ほかならぬ第六十八代横綱・朝青竜明徳(あさしょうりゅうあきのり。番付表記は「朝青龍」)のことである。 相撲は日本の国技である。 が、それは名ばかりで、相撲がスポーツ紙の一面を飾ることはめったにない。 唯一登場するのが「場外場所」ではあるまいか?「本業」でなく、場外で「不祥事」でも起こらなければ、採り上げてもらえないのである。 嗚呼。 なんて悲しいスポーツであろうか? スポーツ? そうであった。 他のスポーツには失礼であるが、相撲というものは元来、そんな甘ったるいものではなかった。 他の武道と同様、生死を賭(か)けた真剣勝負だったはずである。 朝青竜は原点に戻るべきであろう。 今回は相撲というものがどのようにして誕生したか、その原点を振り返ってみたいと思う。 [2007年8月末日執筆] 参考文献はコチラ 「当麻蹶速
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