「袴垂」の名前がどこから来たのかよくわかりません。 おそらく、袴が垂れてたんでしょうな。 袴が垂れてるということは、すなわちそれそれ「変態」だったのかもしれません。あっしは記憶にございません。泥棒ですので、なんでもありだったんでしょうな。 『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』にあっしの特徴が載っています。 盗人の大将軍! 豪胆! 力持ち! 足が速い! 思慮深い! スゴ腕! なーんて、もうべたほめです。どうして天下の大泥棒をこんなにもほめるんでしょうか?そもそもどうしてこんなすごい人間が、泥棒なんかをやっているんでしょうか? わかりません。あっしには、まったくもってわかりません。いったん道に迷ったものという者は、なかなか戻ってこれないもんなんでしょうな。 泥棒をしているとき、当然のようにあっしはワルでした。 あっしは自分に言い聞かせるんです。 「あっしはワルだ!」 そうすると、本当にワルのように
余は倒れた。 痛さというより苦しさが余を襲った。 「総理! どうなさいました!」 元田肇(もとだはじめ)鉄道相であろうか? 余は答えることもできなかった。 すぐに意識を失ってしまったからである。 余は青年の顔を知っていた。 二、三度、この東京駅(東京都千代田区)で見かけたことがあった。 声をかけたこともあった。 「君はここに勤めているのかい?」 青年は否定した。 「いいえ。ここではなく、大塚駅(山手線。東京都豊島区)で転轍手(てんてつしゅ)をしています」 線路の進路を切り替える、あの役目である。 「そうか。若いが、二十歳前か?」 「十九歳です」 「十九歳か」 余は思わず微笑んだ。 六十六歳の余は、その若さをうらやましく思い、また、その青年が余が全国に敷き広げた鉄道の仕事に携わっていることがうれしかった。 その青年が余を刺したのである。 (なぜだ!) 余は叫びたかった。 (余は刺されるような
平成十九年(2007)三月十七日夜、JR長崎駅(長崎県長崎市)前で伊藤一長(いとういっちょう)長崎市長が射殺された。 四期目を目指す市長選のさなか、遊説を終え、選挙事務所へ帰る途中のことであった。 実行犯は指定暴力団山口組系水心会会長代行・城尾哲弥(しろおてつや)。 闇(やみ)にまぎれて背後から近づき、事務所関係者に取り押さえられながらも市長に二発の銃弾を浴びせたのである。 「事故の処理に対する市の対応に恨みがあった」 犯人はそう語ったが、たとえどんな理由があれ、暴力というものが許されることはない。 また、共犯二人も逮捕されたが、背後関係などは不明である。 暗殺は「必要悪」ではない。 時代に関係なく「絶対悪」である。 つまり私は、中大兄皇子や明智光秀、大石良雄(おおいしよしお。内蔵助)らの所業も悪だと考えている(「2002年12月号 仇討味」参照)。 たとえ標的がどんな悪人であろうと、これ
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