こうして対陣して半月余りが過ぎた九月九日、海津城の武田信玄は、重陽(ちょうよう)の節句の宴会がてら軍議を開いた。 「すでに川中島に来て半月余りになるが、いまだ上杉政虎とは一戦もしていない。みなの意見を聞きたいと思う」 重臣・飯富虎昌(おぶとらまさ。信濃内山城主・兵部少輔)が進言した。 「戦が長引くのは好ましくありません。近々、決戦したほうがよろしいかと」 側近・馬場信房(ばばのぶふさ。信春。民部少輔)もこれに同じた。 「長期戦は良くないというのは『孫子』にもあるではありませんか」 『孫子』にはこうある。 「兵は勝つことを貴ぶ。久しき(長期戦)を貴ばず」 『孫子』にもある。信玄にとって弱い言葉である。 「しかし、何かよほどすごい作戦を思い付かないことには、動くことはできぬ。何といっても敵はあの政虎だ」 そのとき、軍師・山本晴幸(やまもとはるゆき。勘助・勘介・菅助)が提じた。 「お館様、こんな
待っても待っても動かない上杉政虎を見て、武田信玄は首をかしげた。 (おかしい。いつもの政虎なら、そろそろ戦いを仕掛けてくるはずだが……。これでは政虎のほうが『動かざること山の如し』ではないか) 信玄は考えた。 (何かある……) 相手は戦争にはめっぽう強いあの政虎である。その政虎が自軍に不利な状況から全く動かないのは、何か理由があると考えたのである。 (まさか……。政虎は越後からの援軍を待っているのではないか) 信玄は不安になった。越後を背に布陣しているこの状態で援軍が来れば、武田軍は挟撃されてしまう。 何しろ政虎は関東管領である。彼がその気になれば、武田軍を上回る大軍を動かすことは十分に可能である。現に政虎は、先の北条征伐で十万もの大軍で相模小田原城(おだわらじょう。神奈川県小田原市)を包囲しているのである。 信玄は確信した。 (きっとそうだ。それならこんなところに陣を布いている場合ではな
新年明けましておめでとうございます、であるが、めでたい人は少ないであろう。 一見、めでたいように見える人でも、いつ何時、どんな不幸が降りかかってくるか分からない、お先真っ暗物騒至極な世の中である。 どうしてこんな世の中になってしまったのか? アメリカがイラクに手を出してしまったことが、一番の要因であろう。 「イラクのフセイン大統領は大量破壊兵器を持っている」 世界の警察を自負するアメリカは、それを口実にイラクを攻撃、これを占領した。 しかし、いつしか「持っている」は「持っているかも」に変わり、最終的には、 「大量破壊兵器はなかった」 に、完全にひっくり返されてしまった。 「大量破壊兵器がなかったんなら、今まで何のために戦ってきたんだ?」 「石油が欲しかっただけだよ」 そう思われても仕方ない。 そしてこのアラブのアブラが、物騒の炎を世界中に燃え広げさせたわけである。 目的のない戦いは、応仁の
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