細川清氏を追い落とし、管領の実父として事実上の幕府のボスとなった斯波高経の権勢は絶大であった。 康安二年(1362)七月、讃岐白峰(しらみね。香川県坂出市)で清氏が細川頼之(よりゆき。「戦争味」参照)に敗死し、貞治二年(1363)には、南朝方の大内弘世(おおうちひろよ)と山名時氏(やまなときうじ。「山名氏系図」参照)が幕府に投降した。 同年、高経は五男・斯波義種(よしたね)を小侍所に、孫・斯波義高(よしたか)を引付頭人に登用、貞治四年(1355)には義種を侍所頭人に昇格させて一門の権力基盤を固めた。 また、 「幕府の力を強化させるために増税する!」 として、それまで五十分の一だった段銭・棟別銭の税率を二十分の一に引き上げた。 これには諸大名が怒った。 「増税だと!」 「戦乱続きでみんなが困っているこの御時世に幕府は何を考えているんだ!」 「中央集権国家反対!」 これら不満分子を高経は徹底し
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