日本の近代化に多大な功績を残した実業家・渋沢栄一が揮毫(きごう)した塩原太助翁記念公園(群馬県みなかみ町)の記念碑の完成を記録した拓本が中村石材店で発見された。
うち2枚は姪の誕生を祝うもので、「僕の還る頃は歩いて居るでしょう」とも書かれていたが、彼が生きて帰ってくることはなかっ
古代の防衛施設だった水城(みずき)跡(国特別史跡)近くにある「上大利小(かみおおりしょう)水城跡」の土塁がこれまで確認されていた規模よりも大きく、地形や地質に応じて積み上げ方を変えていることがわかった。
下大賀遺跡で平安時代(9~11世紀)の竪穴建物跡11棟や土坑約120基、土師器と須恵器の甕(かめ)や坏(つき)や墨書土器、鎌倉~江戸時代(13~17世紀)の道路跡、古瀬戸・常滑の陶器や青磁、束ねられた銭などが発見された。
戦国武将で初代柳川藩主の立花宗茂が朝鮮出兵の際に小野家に与えたとみられる甲冑袖左右一対「金白檀塗色々威壺袖(きんびゃくだんぬりいろいろおどしつぼそで)」が発見された。
1955年に結成され、長崎での被爆者運動の礎となった「長崎原爆乙女の会」が同年7月から1956年2月まで発刊し、散逸していた機関紙「原爆だより」が発見された。
大正~昭和時代の建築技師・江川三郎八が、大正時代に美作国の一宮・中山神社拝殿など3棟の建て替えや改修を手掛けていたことがわかった。 江川は旧遷喬尋常小(岡山県真庭市。国重文)など公共建築に西洋の様式を取り入れたことで知られるが、現存する神社の設計に携わったのが判明したのは2例目だという。[山陽新聞]
木津の岡田国遺跡で、平安時代中期の役所とみられる建物跡と、奈良時代に耕作でできたとみられる溝などが発見された。 奈良時代の遺構は恭仁京と関わりがあるとみられ、本日午前10時から現地説明会があるという。[京都新聞]
飛鳥時代で最大級の方墳とみられる小山田古墳で、石室内部の大規模な羨道(せんどう。通路)跡が発見された。 今回の調査では玄室は確認されなかったが、方墳としては石室も最大級の可能性が高いという。[NHK]
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