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哲学と精神分析に関するreponのブックマーク (1)

  • なぜ哲学は形而上学を批判しつつ倫理的なものを救済するのか。 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    コギトの救済 デカルトは科学者であり、機械論者である。「方法序説」(ISBN:4003361318)を読んだだけで、あの科学の黎明期に、もうどれだけ科学がおもしろくてしょうがなかったか、その熱中さが伝わってくる。それとともにまたデカルトはキリスト教者でもある。人間は動物と同じく機械だ、なんて口が裂けてもいえないし、自ら納得できない。 だから人間性=精神をいかに救うかという思考が、コギトになるわけだ。懐疑(分析)しつくした先に、懐疑(分析)できない我をみいいだし、これだ!と思うわけだ。そしてこの通路をとおって、神は守られる。しかしこれはまた、宗教から科学(機械論)を守る方法だったともいえる。 デカルトの苦悩 デカルトは近代思想の祖と言われるのは、事後的なものだろう。デカルトの心身二元論の苦悩は有用でありつづけたからだ。 一つは、このデカルトの強引な形而上学の救済への批判である。形而上学の救済

    なぜ哲学は形而上学を批判しつつ倫理的なものを救済するのか。 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    repon
    repon 2008/02/13
    重要なことを論じているんだと思うが、議論の焦点がつかめなかった。精神分析が「精神分析学」で無いことが明快に述べられているのはすばらしい。
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