2021年7月9日のブックマーク (3件)

  • 電話口から三人殺したかもしれない話

    ・一人目 一人目は学生時代、通販の受信専門コルセンで働いていたとき。住所の確認を繰り返している途中にボン、ゴトンっと鈍い音とともに会話が途切れてしまった。通話自体は続いていたのだで「歩きながら電話でもしていて落としちゃったのかな?」としばらくそのままに。しかし雑音は聞こえるものの一向に話し声が再開しないので、どうして良いかわからずリーダーへ報告した。リーダーが代わるも相変わらず電話が遠くて雑音と、なぜか水の滴るような音しか聞こえない。仕方なく「申し訳ございませんが、お電話が遠いようですので少し後にかけなおさせていただきます」と切断。その後何度かかけたが、着信はなるものの誰も電話に出ることはなかった。 その一週間後だったろうか。その電話番号の家族だという方から問い合わせがあった。ながら運転だったそうだ。私が電話をかけていた相手は運転しながら携帯電話を使用していたのだ。電話に気を取られ反対車線

    電話口から三人殺したかもしれない話
    rider250
    rider250 2021/07/09
    歴史に残る平成の大震災のうち、2カ所に「発生半年前に旅行に行ってた」、大被害の出た平成の水害のうち、1カ所に「発生1年前に旅行に行ってた」俺は「これから先旅行に行っていいもんか?」と結構真剣に悩んでる。
  • 戦前&戦時中に掲げられた標語(スローガン)をまとめました - 日常にツベルクリン注射を‥

    人だけではないとは思いますが、人間は標語(スローガン)がお好きなようです。コロナ禍の現在においても「ステイホーム」「3密」など、簡潔で分かりやすい標語がもてはやされたりします。 今回は、日国内における戦前&戦時下の標語(スローガン)をいくつかまとめてみました。国民を戦争に導くために、官民一体となって様々な標語が作られたのです。 誰でも知っているであろう代表的な戦時下における標語の1つが『欲しがりません 勝つまでは』でしょうね。そのような標語をいくつかご紹介していきます。 戦前&戦時下の標語まとめ 『欲しがりません、勝つまでは』 出典:1942年「国民決意の標語」入選作品 戦時下の標語としてはおそらく最も有名なもの。この作品は1942年に一般公募された国民決意の標語 - Wikipediaという企画の入選作品の1つです。作者は小学5年生の三宅阿幾子さんでした。 後に人の回想によると、

    戦前&戦時中に掲げられた標語(スローガン)をまとめました - 日常にツベルクリン注射を‥
    rider250
    rider250 2021/07/09
    この手の人たちってどうして日本「だけ」が狂ってたと思ってんだろ?調べりゃすぐわかるが英米仏等、自由主義陣営の国々の標語とか新聞とか日本以上に狂ってたんだぜ?日本なんか実におとなしいもんだよ。調べてみ。
  • 親右ゑもん子 on Twitter: "内村選手も池江選手も、何か言い訳するのに「自分たちには何も変えられない」なんて言葉、本当スポーツ選手として一番言って欲しくなかった。まだ、コロナだろうが誰が死のうがそれでも五輪やりたいって身も蓋もないこと言ってくれた方がずっとましだった。"

    内村選手も池江選手も、何か言い訳するのに「自分たちには何も変えられない」なんて言葉、当スポーツ選手として一番言って欲しくなかった。まだ、コロナだろうが誰が死のうがそれでも五輪やりたいって身も蓋もないこと言ってくれた方がずっとましだった。

    親右ゑもん子 on Twitter: "内村選手も池江選手も、何か言い訳するのに「自分たちには何も変えられない」なんて言葉、本当スポーツ選手として一番言って欲しくなかった。まだ、コロナだろうが誰が死のうがそれでも五輪やりたいって身も蓋もないこと言ってくれた方がずっとましだった。"
    rider250
    rider250 2021/07/09
    死ぬほど打ち込んでるから、寿命を縮めるほど努力してるからこそ「自分たちになにが変えられてなにが変えられないか明確に区分けできてる」んじゃないかな。まあいちいち言い訳せんでいいよ、とは感じるけどね。