中国考古学会は16日、江蘇省揚州市で会見し、同市で今年3月に見つかった2つの古い墓が約1400年前の隋王朝の第2代皇帝、煬帝(569~618年)と妃の墓であることが確認されたと発表した。「重大な考古学上の成果」としている。中国の通信社、中国新聞社が伝えた。 2つのれんが製の墓は不動産開発の工事中に発見。1つは長さ約25メートルで墓誌のほかに玉器、銅器などの副葬品が100点余りと50歳前後とみられる男性の歯などが出土した。墓の形、当時の最高級品を含む副葬品の特徴などから煬帝の墓と認定したという。 別の墓は長さ約13メートルで副葬品は約200点。56歳ごろとみられる女性の人骨があり、煬帝の妃の墓と推定された。 煬帝は聖徳太子が送った「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」との国書が無礼だと激怒したと伝えられる。(共同)