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ブックマーク / gureneko.hatenadiary.org (3)

  • 「5:5:3:1.67:1.67」という表現について - gurenekoのメモ(終活中)

    歴史教育において多大なる影響力を持つ山川出版社から2008年に出た『詳説日史研究 改訂版』の417ページのワシントン海軍軍縮条約の内容に関する記述には、「戦艦・巡洋艦の保有量の比率を、米英各5、日3、仏伊各1.67とする。」という表現がある。 同年に同社から出た『詳説世界史研究 改訂版』の464ページにも、「会議では米・英・日・仏・イタリアの主力艦の保有トン数の上限と保有比率を定めた海軍軍備制限条約が合意され、比率はそれぞれ5:5:3:1.67:1.67とされ、」という表現がある(太字化は原文ママ)。 仏・伊を「1.67」とするこうした記述は、中高生の頃に資料集等でも何度か見た記憶がある。その頃からずっと、「15:15:9:5:5」と表現すれば面倒な小数を避けられて良いのにと、今日まで思い続けてきた。 また仮に日中心主義を貫きたいのならば、いっそその精神を徹底して「1.67:1.67

    「5:5:3:1.67:1.67」という表現について - gurenekoのメモ(終活中)
    rikuzen_gun
    rikuzen_gun 2012/01/15
    ワシントン海軍軍縮条約の比率→『15:15:9:5:5』
  • 秦の「三世」 - gurenekoのメモ(終活中)

    一年前、T_S氏の秦王子嬰の正体に関する一連の考察(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20100502/1272727354・http://d.hatena.ne.jp/T_S/20100503/1272817126・http://d.hatena.ne.jp/T_S/20100506/1273072210)と、nagaichi氏による子嬰の正体に関する諸説の整理(http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/20100504/p1)とを、拝読した。 日はこの問題について最近自分が思いついた事を書く。 T_S氏は、ブックマーク(http://b.hatena.ne.jp/T_S/20100504#bookmark-21287945)で、「始皇帝の弟」と「始皇帝の孫」というかけはなれた説が一つの書に共存している事に疑問を呈し、「「秦王子嬰」として知られる人

    秦の「三世」 - gurenekoのメモ(終活中)
  • 諸子百家は、君主を讃える歌の強制を、どう評価するだろうか? - gurenekoのメモ(終活中)

    儒家は、「法律に従われる事」の怖ろしさを知り抜いている。法律による統治には、常にその文言自体を足がかりにした反抗の気運が内在している。だから礼楽という文化で人間の内面を圧倒し、反抗という発想自体を挫き、自ずと天下万民が帰服してくるようにしむけるのである。 逆に法家は、そうした「敬愛される事」の怖ろしさを知り抜いている。君主を敬愛した臣下は、つい気を利かして越権行為に走りやすい。これの黙認が慣習化する事で、実際は君主を敬愛していない臣下までもが越権行為に走り、やがて強大な権力を背景に君権を掣肘するに至るのである。また、君主に対して健康を祈ったり「文帝」という諡号を贈ったりする自由を臣下に認める事は、不健康を祈ったり「煬帝」という諡号を贈る自由につながってしまうのである。そうなるよりは、いっそ恐怖による統治を行い、死後は「始・二世・三世・・・萬世」という機械的な名前で呼ばれる事で満足するという

    諸子百家は、君主を讃える歌の強制を、どう評価するだろうか? - gurenekoのメモ(終活中)
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