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半導体に関するrin51のブックマーク (3)

  • 【元NECのトップ技術者が解説!】世界一だった日本の半導体メーカーは、なぜ凋落したのか?

    1944年樺太生まれ。1968年東京大学工学部物理工学科を卒業。日電気(株)に入社以来、一貫して半導体関係業務に従事。半導体デバイスとプロセスの開発と生産技術を経験後、同社半導体事業グループの統括部長、主席技師長を歴任。(社)日半導体製造装置協会専務理事を経て、2007年8月から(株)半導体エネルギー研究所顧問。著書に『入門ビジュアルテクノロジー最新半導体のすべて』『図解でわかる 電子回路』『図解でわかる電子デバイス(共著)』『プロ技術者になるエンジニア勉強法』(日実業出版社)、『半導体・ICのすべて』(電波新聞社)、『電気のキホン』『半導体のキホン』(ソフトバンククリエイティブ)、『図解これならわかる!電子回路』(ナツメ社)など多数。 半導体産業のすべて 元NECの伝説的な技術者であり半導体製造の第一人者が、業界の主要企業とその相関関係を詳細に解説した『半導体産業のすべて』の一部

    【元NECのトップ技術者が解説!】世界一だった日本の半導体メーカーは、なぜ凋落したのか?
  • 日本半導体産業年代記

    以前にこんな日記を投下した半導体業界人の増田です。 https://anond.hatelabo.jp/20200813115920 https://anond.hatelabo.jp/20200813164528 久々に日記を書きたくなったので、今回は方向性を変えて年代記風の記事を投下してみます。 私自身は業界の全盛期である80年代~90年代前半を経験しておらず、当時の状況を記述するのに十分な知識がないため、その時代については省いています。 ということで、私がこの業界に入ることになる少し前の90年代半ばから物語を開始します。 ※工場の呼び名は企業の再編によって変わる事が多々あるので、原則立地で表記している。 1990年代半ばごろ 時代の転換点80年代後半に栄華を極めた日半導体産業であったが、日米貿易摩擦の影響で一時に比べて勢いを失っていた。 また、韓国企業の台頭により得意分野のDRAM

    日本半導体産業年代記
  • 先日倒産したメモリメーカーの友人と飲んできた話

    彼は純粋な技術屋といった感じで、 愚痴もまじっていたせいだろうか、何を言ってるかわからない部分もあったが、 いろいろと興味深い話を聞くことができた。 「結局、装置があれば韓国でも中国でもどこでも作れるようになって、値段のたたきあいになっちゃたんだろ」 という私に対して、彼は言った。 「体力勝負で負けたのは否定しない。だけどな、装置があれば誰でも作れるというのは大間違い」 「最大の要因は、やつらの技術力が高かったことだと思う。というかうちの規模の会社が研究開発で対抗できてたのがある意味奇跡。」 メモリは『装置があれば作れる汎用品』なわけではない。ということを彼は熱弁していた。 回路ひとつをとってみても、『アナログ』技術の塊で、 記憶素子のわずかな物理量(数10フェムトとか言ってた)の変化を 増幅する高精度なアンプだとか、 秒速数ギガビットの信号を処理するためにピコ秒単位で 信号のタイミングを

    先日倒産したメモリメーカーの友人と飲んできた話
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